8・13~15山谷・夏祭りの大成功をかちとる〈東京・山谷〉
8月13日から15日の三日間、東京・山谷の玉姫公園で山谷・夏祭りの大成功をかちとった。
東北・関東大震災や福島第一原発の事故への「復旧・復興事業」に関連し、建設需要が伸びている。しかし、現金日払いの仕事で生活してきた山谷労働者は恒常的なアブレに苦しんでいる。お盆休みで現場・飯場が休みとなるこの時期、収入もなく、野宿を強いられる仲間が急増する。東京・山谷日雇労働組合と山谷の仲間は、山谷・玉姫公園を拠点に、アブレと野垂れ死に攻撃をはねかえし、仲間の命は仲間の団結で守るべく夏祭りを今年もやりぬいた。
山谷夏祭りを準備する過程でも、7月19日には城北労働・福祉センターとの交渉、7月26日、東京都の福祉保健局生活福祉部山谷対策係、産業労働局雇用就業部就業推進課との団体交渉をもち「仕事よこせ」の要求をたたきつけていった。
7月に入ると夏祭り運営資金づくりのために活動を開始した。連日の猛暑続きの中、街頭カンパに立ち、労働者人民に山谷・夏祭りへの支援を訴えた。7月14日、8月4日には夏祭り実行委員会を開催し、2012年山谷・夏祭りの闘いの基調が確認され、本部・炊き出し班・設営班・企画ゲーム班・防衛班などの体制と任務分担の役割が決められ、夏祭りのプログラムが決定された。
山谷・夏祭りへの支援の呼びかけに対して、全国の労働者人民からは資金・物資カンパが東京・山日労の事務所に連日にわたって届けられた。また、炊き出しの食材となる米・野菜、また衣料品・日用品なども多数届けられた。
夏祭り実行委員会には飯場が閉鎖になって仕事を求めて山谷に初めてやってきた仲間も合流、資金作りの街頭カンパ活動や準備の様々な活動に積極的に参加した。
行政や浅草警察、金町一家などによる山谷夏祭り破壊の攻撃を山谷労働者の団結の力ではねかえし、夏祭りの資材の一部については前倒しで運び入れを行ない、三日間の夏祭り本番へと突入していく。
初日の13日には午前5時半、城北労働・福祉センター前に集まった山日労と山谷労働者、支援の仲間たちは、山日労の組合旗を先頭に、山谷通り、玉姫公園、玉姫職安にくり出し、「今日から始まる夏祭りに準備作業から参加しよう、『反戦・仕事よこせ』の前進をかちとろう」と呼びかけ、朝行動をやりきる。そして、午前7時15分、再びセンター前に集結した夏祭り実行委員会の仲間は、隊列を組んで「ワッショイ、ワッショイ」と夏祭り会場の玉姫公園グランドへと進撃する。
グランド入口の門扉を開け、仲間たちが会場入りをすませると、簡単に朝の食事をとり、直ちに準備の作業が開始される。トビの仲間を中心とする設営班はステージやヤグラの建てこみ、屋台の補強などに取りかかる。炊事班は、炊き出しや屋台で使う道具を点検したり、ナベ・カマなどを洗って準備をすすめる。また、物資運搬担当の仲間は、氷や食材、道具などの買い出し、引き取りに奔走する。炊き出しなどの作業に参加するために当日、玉姫公園に駆けつけた労働者・市民も準備の作業に加わった。朝からの作業でさまざまな準備をこなして、建てこみや炊き出し・屋台の準備も整い、午後4時にはグランド一面にゴザが敷かれる。予定時刻より15分ほど遅れたが、午後5時15分になるとグランド入口の門扉がオープンし、外で待機していた大勢の仲間が会場内に入ると、炊き出しのドンブリを受け取り、ゴザに腰を降ろして食事が始まる。無料かき氷のコーナーには長い行列ができ、屋台販売の前にも人垣ができた。仲間たちが炊き出しと無料かき氷をたいらげ、落ち着く頃、午後5時40分にはステージで「三日間の夏祭りを通して仲間の団結をうち固め、この夏から秋へとおれたちの『反戦・仕事よこせ』の闘いを前進させていこう」と2012年夏祭りの開会宣言が発せられ、続いて基調が読み上げられる。
元国鉄労働者・佐久間忠夫氏から「所用のために夏祭りには顔を出せませんが、大いに楽しみ、仲間の団結を強めていってください」との連帯メッセージが紹介され、ユニオン出版ネットワーク(出版ネッツ)に加盟する仲間が連帯あいさつにたち、今回も多くの食材を用意した地域の生協で闘う労働者が連帯あいさつを行なった。
今年の夏祭りでは三日間で約1200食分の炊き出しを行ない、会場には延べ1500人の仲間が訪れた。
8・11釜ヶ崎で夏祭り上映集会が成功 〈大阪・釜ヶ崎〉
「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」は八月一一日、全国の寄せ場で闘われた夏祭りの一環として、西成市民館で夏祭り上映集会を開催した。
午後0時30分、司会の仲間が開会宣言を行なう。
連帯メッセージの紹介に続き、夏祭り上映集会の基調提起が行なわれる。「寄せ場周辺や野宿労働者の集まる公園・駅などでは、暴力団・ヤクザなどの悪徳手配師が暗躍して、アブレ(失業)に苦しむ労働者の足元を見て、非常に安い賃金で東北地方への長期出張の仕事を勧誘している。原発事故処理の仕事、命にかかわる危険な被曝労働が、日雇い・野宿労働者に押しつけられている」「野田政府は、『失業対策事業はやらない、雇用(仕事)確保はあくまで民間(企業)がやるべき』という態度だ。『緊急雇用創出事業』は、今年3月で打ち切られ、『高齢者特別清掃事業』(55歳以上、5700円)は以前のように月約4回になってしまった。54歳以下の労働者の仕事も減るばかりだ。こんなに少ない仕事量でどうやって生きていけというのか。全国の寄せ場労働者が団結して闘いを強め、何としても『公的就労事業』を政府、行政(大阪府、大阪市)に行なわせていこう!」「パナソニック争議やヤンマー争議を闘う『非正規雇用』労働者と連帯し、『労働者派遣法』撤廃―『直接雇用』『無期限雇用』をかちとろう!」「6月24日、日本労働運動の新たな結集軸=全国労働組合運動交流会(全労交)の結成をかちとった。全労交のさらなる拡大・強化を図っていこう!」「橋下―『大阪維新の会』は、労働者の生活と闘いを破壊する攻撃を激化させ、釜ヶ崎の労働者に対しても、共同の力で生きぬくことや団結して闘うための条件を破壊する攻撃を仕掛けてきている。こうした攻撃を許さずうち破っていこう!」「猛暑の中、8・6広島反戦闘争を右翼ファシスト『在特会』の敵対を粉砕し闘いぬいた。日雇い労働者―下請け労働者の犠牲無しには一日たりとも動かない原発。すべての原発の廃止をかちとり、日帝の核武装を阻止しよう!
オスプレイ配備を阻止し、普天間基地を解体し、名護新基地建設を阻止しよう! 朝鮮反革命戦争と消費税大増税に突き進む野田政府を打ち倒そう!」「夏祭りの成功を力にして、これからも団結して『反戦・反失業』を闘おう!」。基調は、大きな拍手で確認される。
集会の最後に、3本の娯楽作品が上映される。冷房の効いた会場で涼み、冷たいお茶やコーヒーを飲みながら、大きなスクリーンに映し出される映像に参加者は注目し大いに笑った。
夏祭り上映集会は「団結ガンバロー」で締めくくられた。
8・13~15福岡日雇い団結夏祭りを開催〈福岡・築港〉
今年も8月13日から15日までの三日間、福岡・築港日雇労働組合を軸とする実行委員会の手によって、博多駅前の明治公園において、福岡日雇い団結夏祭りが開催された。今年の夏祭りは、「失業に負けるな! 夏の暑さに負けるな! 力を合わせて生きぬこう!」をメイン・スローガンに闘いぬかれた。
会場の設営から撤収までの作業や、洗い場や警備などの実行委員会の各班には、三年半余りにわたる「仕事よこせ」の対市役所行動に関わってきた仲間たちをはじめ、多くの日雇い・野宿の仲間たちが積極的に参加した。新たに野宿を強いられている若い労働者も多く参加した。生活保護をとって以来、しばらく顔を見せなかった仲間たちも久しぶりに参加した。これらの仲間たちがさまざまな催しに参加することによって、活気ある夏祭りがかちとられた。また、反原発運動に関わる労働者や、失業問題などで社会への疑問を抱く多くの市民が支援に加わり、炊事、洗い場などの仕事を担ってくれた。「一人の野垂れ死にも許すな」と、労働者自身の手で仲間の命を守りぬくこの取り組みには、多くの労働者人民の共感が集まり、多くの資金と物資のカンパも寄せられた。こうした力で、夏祭りの成功はかちとられたのだ。
「大恐慌時代の再来」が叫ばれ、朝鮮反革命戦争の危機が急激に煮つまるなか、労働者の労働と生活をめぐる状況はますます厳しくなる一方だ。東北・関東大震災の被災地をはじめ、ますます失業者が生み出され、不安定で無権利、低賃金の労働をさせられる「非正規雇用」の労働者が、日本の全労働者の三分の一以上にも達している。多くの労働者が仕事と住む家を失い、新たに野宿生活を余儀なくされている。日雇い・野宿の労働者には、厳しい失業と飢えが襲いかかっている。福岡においては、築港の寄せ場に朝の五時から立って仕事を求めても、業者がまったく来ない日々が続いている。市内の公園などで手配師から声がかかるのは、「福島原発事故処理の仕事」という、危険極まりない被曝労働くらいのものである。
このかん、福島第一原発の復旧工事を下請けした会社が、原子炉間近の現場で、作業員の被曝線量を少なく見せかけるために、線量計を鉛カバーで覆って作業をさせていたことが明らかになっているが、作業をした12人のうち、会社関係者を除く8人全員が、「違法派遣」で各地から送られてきた労働者であった。しかも、この8人の中には、現に、福岡から送られた労働者が含まれているのだ。仕事がないことにつけこんで、ケタオチの人夫出しや手配師などが手配したものと思われる。こうしたことを許さない現場闘争が今ほど求められている時はない。下請けの「被曝隠し」を承知で、高線量の現場に労働者を送り込んでいる元請のゼネコンや発注元の東電にまで攻め上る闘いとして闘いぬくことが求められている。
労働者を使い捨てにし、野垂れ死にを押しつける資本家どもと政府は、労働者の不満を戦争でそらそうと躍起になっている。やつらが原発にこだわるのも核武装のためだ。反戦の闘いを強め、こんな政府をぶっ倒し、資本主義社会を葬り去らないかぎり、労働者の未来はない。現場闘争と結びついた「反戦」と「仕事よこせ」の闘いの前進をかちとっていかなければならない。
今回の夏祭りでは、政府―厚生労働省の出先機関である福岡労働局に対するデモと要求書の提出が行なわれた。後日、これへの回答をめぐって、福日労と労働局との交渉が持たれる予定だ。民間企業による首切りが強められるなか、「民間企業における雇用の拡充を促進する。失業対策事業の方式はとらない」と言い続ける政府の労働行政に対して、さらなる闘いを叩きつけていかなければならない。民間の仕事なぞないなかで、「被曝労働があるではないか」との居直りを許してはならない。被災労働者をはじめとして、全国で失業に呻吟する労働者の先頭に立って、寄せ場―日雇い労働運動こそが、仕事をかちとる闘いの大爆発を切り拓いていくのだ。
8・15「暑気払い団結・交流会」を盛大に開催する〈沖縄・首里〉
8月15日、沖縄・首里日雇労働組合は毎年恒例の「暑気払い団結・交流会」を開催した。
沖日労は、6・16安保粉砕・政府打倒闘争で普天間基地に進撃するデモを闘いぬいた地平を引き継ぎ、普天間基地解体・名護新基地建設阻止にむけて奮闘してきた。6・23「慰霊の日」の闘いに決起、7・1高江現地集会と現地座り込みに決起し高江ヘリパッド阻止の闘いに起ちあがった。9・9「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」へ結集するために互いに声を掛けあい、オスプレイ配備を阻止し普天間基地を解体する決意をうち固めてきた。そうしたなかで組合に寄せられた労働相談・生活相談にも真摯に対応し、仲間たちの信頼と労働組合運動の前進をかちとるべく奮闘してきた。
沖日労は闘いに奔走するなかで、日雇い・野宿の仲間たちへ「暑気払い団結・交流会」への参加を呼びかけた。当日は、仕事を終えた首里の労働者やこれまで沖日労とともに、反戦・反基地闘争を担ってきた仲間たちが多数会場に足を運んだ。
午後7時前、司会に立った組合の仲間から交流会の主旨が説明され、東京・山谷、大阪・釜ヶ崎、福岡・築港の全国各寄せ場の仲間から送られてきた連帯メッセージが読み上げられる。参加者は、野垂れ死に攻撃と対決し、野田政府打倒を掲げて反戦闘争・反原発闘争に決起する全国寄せ場労働者の闘いを確認し合う。司会の「沖縄ではオスプレイ配備阻止・普天間基地解体の闘いが燃え広がっている。沖日労も9・9『県民大会』に結集し、絶対阻止の闘いをやりぬく。協力してがんばろう」という呼びかけに仲間たちは大きくうなずいた。
交流会では準備された食事を囲み熱い意見が交わされた。「塩分不足で仕事中に手が震えた。夏場はしっかり対策をとらないと大変だ」、「親方は熱中症対策すると言いながら、水分を補給するキーパーも置いてない。『これでは仕事にならない』と要求してキーパーを置かせた」、「社長が日払いから急に月払いにすると言ってきた。仲間同士相談して拒否したらクビを切られた。その後の経過で、はじめから社長は会社の要求を聞く労働者だけ残すように仕掛けたことだと分かった」。仕事に慣れた仲間ばかりではない。熟練労働者が助言し、団結をさらに深めていく。「今は元気で働けていても、これから先どうやって生活していくか不安だ」と口にする労働者もいる。また、基地や政府への怒りの声もあがった。「嘉手納基地の近くに仕事に行ったが、とても爆音がひどくて集中できない。那覇では想像できないくらいひどかった」、「政治家は74パーセントも沖縄に基地を集中させておいて何もしない。みんなが怒って当然だ。基地に石を投げつけてやりたい気持ちだ」、「今の政治家にまったくまかせておくことはできない」、「俺たちの境遇を知る政治家は一人もいないだろう」、「政治家は期待できない。だからこそ組合の仲間をもっともっと拡大していくことが必要だ。そうした闘いの中からしっかりとしたリーダーもつくられていく」。討論は白熱し、夜が更けていった。
締めのあいさつに立った組合の仲間は、「ここに集まった者はみな仲間だ。困った時は助け合い、仕事があるときは分け合い、声を掛け合っていこう」、「組合の取り組みには今後も協力してください」と呼びかける。参加者から「よし!」と声が上がった。
さらなる闘いへの決起を誓いあい、「暑気払い団結・交流会」は終了した。
(全国寄せ場交流会)