大阪・釜ヶ崎「夜回り・人民パトロール」を闘う

12・29―1・3「夜回り・人民パトロール」を闘う

 

「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」  

 

 大阪・釜ヶ崎では、「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」が12月26日に西成市民館で「越年・越冬闘争へむけた上映集会」を開催した。そして、12月29日から1月3日までの「夜回り・人民パトロール」を貫徹した。
 「越年・越冬闘争へむけた上映集会」には、多くの日雇い・野宿労働者をはじめ約60人が結集した。はじめに、集会の基調が提起された。基調では、政府によるアブレ(失業)地獄―野垂れ死に攻撃が暴露され、大阪府や大阪市に対して「仕事出し」を要求する行政闘争を闘ってきたことが明らかにされ、越年・越冬闘争のスローガンが提起された。参加者全体の「ヨシ!」の声で確認される。
 一本目の上映作品は、山谷の労働者が天皇主義右翼ファシスト・国粋会金町一家と体を張って闘う攻防などを描いた映画=「山谷(やま)―やられたらやりかえせ」だ。参加者は、熱心に見入っていた。 続いて、埼玉県川口市の鋳物の街を舞台にした作品「キューポラのある街」が上映され、50年前の当時の時代背景が映し出された。映画を通じて、労働組合は労働者の生活や権利を守る必要不可欠のものだとあらためて確認されていった。
 大阪市は今年も南港臨時宿泊所を設置したが、この厳しい失業状況の中、今年も入所資格を「あいりん地域に居住する、(原則として)四〇歳以上の単身日雇労働者」という入所制限を行なった。入所受付については、2010年は12月29日と30日の2回だったのが、2011年から事前登録が必要となり、12月29日の一回のみになった。入所者数は、4年前は1324人、3年前は637人、2年前は567人、前回は493人、今回は433人(これにケアーセンターの80人が加わる)となった。
 「夜回り・人パト」は、行政が閉まる年末・年始の釜ヶ崎周辺で行なう。12月29日から、「人パト」が開始された。「人パト隊」は、ビラ、カイロ、おにぎり、タオル、防寒着、毛布、風邪薬などを持って回っていく。まず、センターの周辺で野宿している労働者のもとを、一人一人回る。ダンボールや布団を用意して野宿している労働者もいれば、何の用意も無く体ひとつで寝ている労働者もいる。カイロやおにぎりを渡すと「ありがとう」という声が返ってくる。センターを一周しただけで、100人以上が寝ている。続いて、「人パト隊」は、南海電車のガード下、萩ノ茶屋や山王商店街のアーケード、恵美須町駅周辺、日本橋電気街など、釜ヶ崎周辺を回っていった。釜ヶ崎では、近年、多くの日雇い・野宿労働者が生活保護を受給するようになった。だがしかし、「人パト」を通してわかったことは、前回とほとんど同じ数の労働者が釜ヶ崎周辺で野宿を強いられているという事実だ。 「人パト」隊は、「アブレ地獄―野垂れ死に攻撃を粉砕しよう!」「一人の野垂れ死にも許さず、生きてやつらにやり返そう!」「野宿の仲間への襲撃を絶対に許さず、仲間の命を守りぬこう!」と闘いへの結集を呼びかけていった。このようにして、6日間にわたって「一人の野垂れ死にも許さない」越年・越冬闘争の「夜回り・人民パトロール」が貫徹された。