沖縄・首里日雇労働組合 越年闘争報告

12・31―1・2炊きだし・労働相談を通して団結強化を訴える

 

        沖縄・首里日雇労働組合

 

 沖縄・首里日雇労働組合は、12月31日から1月2日までの3日間にわたって、首里の寄せ場、与儀公園、平和通りを貫いて2012―2013年越年闘争を貫徹した。
 沖日労は12月に入るとすぐに仲間たちに越年闘争の企画案を提示し、越年闘争への協力を呼びかけた。首里・与儀公園・平和通りだけでなく市内各所の公園もまわって越年闘争の宣伝活動を行ない、休日には仲間たちとともに街頭カンパを精力的に行なった。一年間の闘いの中で結集する仲間も増え、よりきめ細やかな準備をすすめることが可能となったのである。
 12月31日は、首里の寄せ場では仕事はなかったが、越年闘争の初日であることを知る仲間たちが集まった。沖日労の一年間の闘いを紹介したビラが配布され「沖日労とともに闘おう」と呼びかけられる。越年闘争への協力を申し出る仲間もいた。与儀公園では組合の仲間がハンドマイクで呼びかけを行なった。越年闘争の開始を告げ知らせると、顔なじみの仲間や公園まわりで新たに知り合った仲間たちが結集し、瞬く間に行列ができあがった。ビラが手渡され闘いへの結集が訴えられた。配食がはじまると、準備したおにぎりと豚汁は、あっという間になくなった。ある労働者が「なかなか仕事につけない」と組合に相談を寄せてきた。沖日労は首里寄せ場の状況や全国の状況などを説明しながら、親身になって相談にのった。風邪など体調不良を訴える仲間にも積極的に対応した。平和通りでは野宿の仲間が多く集まり、近況が報告された。その中では「教会の炊きだしはどこか労働者を見下しているようなところがあり、俺はメシを受け取らない」、「某団体の野宿者支援は営利活動だ。労働者の自立なんて考えてない」といった声も寄せられた。準備したおにぎりやお茶だけでなく、夜間の冷え込みに対処するためカイロも配布された。
 1月1日は、首里の寄せ場にはほとんど仲間は顔を出さなかったが、与儀公園は初日以上に多く集まった。沖日労が公園に荷物を運び込んだ段階で、すでに仲間たちの手によって配布場所の設置作業が完了しており、スムーズに準備をすすめることができた。組合の仲間は配食前のわずかな時間を利用して、全国各地の寄せ場の闘いを紹介した。そして東京・山谷日雇労働組合、福岡・築港日雇労働組合、「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」から寄せられた連帯メッセージを読み上げた。「『黙って野垂れ死ぬな』を合言葉に、仲間の命を仲間同士の団結で守り抜き、越冬闘争でうち固めた団結で、東京都、厚生労働省を追及する闘いを貫徹していく決意です」(山谷)、「おれたち日雇い労働者が血を流し、体を張って闘いぬくべき荒々しい闘いの時代の到来だ。この時代を切り拓く闘いの最先頭に、おれたち日雇い労働者こそが起とう」(築港)、「ポリ公やヤー公と命がけで闘ってきた俺たち寄せ場労働者の力を、今こそ爆発させる時だ!」(釜ヶ崎)といったメッセージに、多くの仲間が耳を傾けた。弁当も予備として準備したおにぎりも残らず配食された。野宿の仲間が多く集まる平和通りでは衣料放出もなされた。
 1月2日の与儀公園では、沖日労とともに地域で闘う青年労働者より連帯あいさつを受けていった。「失業は厳しいが、団結して闘おう。オスプレイ撤去・普天間基地解体・名護新基地建設阻止をともに闘おう」という訴えに、仲間たちから自然と拍手が沸き起こった。沖日労の仲間は「今日で最後となるが3日間の越年闘争で培った団結をうち固めて、ともに闘おう。昨年に引き続き今年も組合は集会やデモを闘います」としめくくった。
 越年闘争の3日間を通して延べ230食以上を配食し、新たな仲間との交流もかちとった。越年闘争を闘いぬいた力をもって、組合運動の前進と反戦・反基地闘争の飛躍を切り拓く。