2013年春闘勝利総決起集会

 3月17日、東京北区の「北とぴあ」において全国労働組合運動交流会(以下全労交)は、春闘勝利総決起集会を開催し、大成功をかちとった。全国から組合、争議当該が続々と会場に結集し、集会場は熱気に包まれる。司会より開会宣言が発せられ、シュプレヒコールがあげられ、集会が開始された。

■ 連帯あいさつ ■

        「君が代」不起立を闘う教育労働者

                     河原井純子さん

 

 「10・23通達」というのがあります。これはどんな命令かといいますと「日の丸に向かって正対し君が代を大きな声でうたえ」という命令です。1999年に国旗国家法が決まり、制定され、そのときに政府答弁として学校・個人には強制しない、というのがあったにもかかわらず、石原知事は「東京から日本を変える」ということで、学校現場に命令を持ち込みました。「日の丸・君が代」が歴史的に犯してきた犯罪を一つ一つ歴史の中で、子供たちや青年たちと学んできた私は、「おかしいこと嫌なことにはNO」「おかしいって言っていいんだよ」と言ってきました。「それは憲法でも子供の権利条約でも最大限守られているので、NOといっていいんだよ」ということを授業の中で言って向き合ってきた私は、「10・23通達」に服従することはできませんでした。一回目の不服従で戒告処分、二回目で、減給10分の1の1ヵ月、三回目で減給10分の1の6ヵ月、四回目で停職1ヵ月、五回目で停職3ヵ月、六回目で停職6ヵ月で首の皮一枚でした。もう少しで解雇、分限免職というときに、全国の仲間が起ち上がり、私は3年前に、停職6ヵ月処分を2回発令された後、退職しました。学校現場の中で画一的な教育ほど怖いものはありません。「日の丸・君が代」の強制もそうですが、原発の安心・安全教育もそうです。あれほど原発に反対を唱える学者、研究者がいたにも関わらず、そういう声には耳を傾けず、子供や青年たちに原発は未来のエネルギー、安心・安全だと学校側は教育の営みの中に組み込みました。しかし、3・11です。あれは天災ではなく人災です。私は福島に何度か行脚をし、福島の子供たちを八戸、弘前で、「福島の子供たちに安心して外で遊んでほしい」「思いっきり海やプールで泳いでほしい」ということで、「福島保養プロジェクト」というのを仲間と共に取り組んでいます。
 今、東京の教育現場は、非常に危険です。まさに戦前、いつか来た道をたどっています。なぜならまず、教員はNOと言えない。おかしいことにおかしいと言えない状況があります。その後姿を見て育つ子供たちや青年たちは、おかしいことや変なことに目を閉じます、口を噤みます。このことがいったい何を起こしてきたかは歴史がはっきりと私たちに証明しています。今、学校に起こっていることは教育労働者だけではとても何もできないと思いました。私は皆さんのように色々な労働現場の労働者とともに共闘しなければ、何も今の状況を変えることはできないという思いで解雇撤回の争議を闘う色々な労働者の裁判の傍聴をしています。霞ヶ関までの定期券を買わなければいけないほど東京地裁・高裁に通っています。現在の裁判は民衆の味方ではありません。しかし、私は私たち一人ひとりが手をつなぎ合い、教育労働者という、ひとつの偏った労働形態ではなく、すべての労働者がきちんと連帯して、権力側にたち向かえば、今の状況を変えることができると思っています。どうぞ皆さん共闘の輪を大きく広げ、大きなうねりにしていきましょう。
 私は、学校は画一の人工林ではだめだと思っています。人はみんな違ってみんないい。一人ひとりの命を燃焼してこそ人生だと思っています。そんな思いで「雑木林の決意」という本を書きました。教育の営みを取り戻したい。今の東京の教育現場は分断されている現状があります。この本の中に1・16の最高裁判決、11・7の差し戻し審のことが書いてあります。1・16の最高裁判決は私の停職1ヵ月は取り消しながら、根津さんの停職3ヵ月は取り消さないという、分断、不当な判決でした。しかし、いいところを後続裁判に活かしたいとこんなささやかな本を出しました。私は東京の教育現状をとにかく全国に知らせ、発信し、全国の労働者と手を組みたいと思って、北は北海道から南は沖縄まで全国「雑木林」行脚をしています。そのとき「決してあきらめず雑木林の決意」という長い詩をもっていきます。この詩が絵本になりました。皆さん。ともに大きな大きなうねりを作りましょう。

    杉並区立図書館雇い止め解雇裁判当該
                     岩﨑一男さん

 

 現在最高裁で裁判を闘っています。私の裁判について全労交の2月号にありますのでぜひご覧になっていただきたい。私は東京都の杉並区の図書館で「雇い止め」解雇になりました。通常だと23区の区役所で「雇い止め」はありえない。当初の杉並区長で山田宏、有名な区長ですが、衆院選挙で「日本維新の会」から衆院議員に当選し、その前は橋下市制の特別顧問をしていた。大阪の橋下もそうですが、山田も労働組合が大嫌い。私は元々は杉並区の「正規」職員で最後は課長職で辞めたのですが、それまでは区職労に入っていました。課長職になると脱退で12年間は組合員ではありませんでした。その最後が課長職だったためその後、区の外郭団体で事務局3人くらいの事務局長になり勤め始めました。私は晩婚で55歳で結婚し当時まだ5歳の子供がいたので、働く必要があり、そこで働き始めた。2年後にその団体の会長、ボランティアでやっている会長ですが、私がいるとやりにくいということで、本人には何もいえないから山田に私をどこかに飛ばしてくれと言ったんですね。そういう情報が入れば普通は調査したりするんですが、山田区長というのは、そういう情報が入ればすぐにどっか飛ばせ、場合によっては首にしろ、という区長です。それで退任強要が始まりました。最初2週間は1人で闘っていたんですが、最終的に給料も外郭団体にいたときと同じ金額を保証するということで、杉並区立図書館に行って一嘱託員として働くことになりました。ところが給料が約束と違うということで、問題が蒸し返され、また闘いが始まりました。しかし、脅かしを受けたりしたため、労働組合に入って団体交渉を始めました。4月に採用され6月に組合に入り交渉を続け、その翌年2月になって「再任しない」と継続を拒否されたのです。杉並区の「再雇用嘱託員制度」は始まって30年ほどになるが、少しくらい勤務成績が悪くても本人が希望すれば65歳までは保障するという実態がありましたが、私が初めての「雇い止め」にされた。団体交渉でラチが明かなかったため、裁判に訴えました。私はそれまで日本の裁判所というのは「公正・公平」に判断をして正当な判断を下すと思って裁判を始めたんですが、東京地裁に訴えて2年ちょっとすぎに判決がありました。これがひどい判決でした。被告は一般的には自身の正当性を維持するために色々虚偽の主張をしますが、それを全面的に認めたんです。48項目のウソを認め最終的には私は全面敗訴になってしまった。当然納得できませんから、東京高裁に提訴した。今度こそ正当な裁判をしてくれると思っていた。私は区の情報公開制度を使って、自分の勤務評価を取り寄せた。「良好」で何の問題も無かった。通常は65歳までは問題が多少あっても採用するという実態があったので、私より勤務評価が悪いものがいたら出してほしいといって出してもらった。よく出してきたなと思ったが、29人いた。この中には、勤務評価が悪く、更新しないほうがいいという評価があるものが15人近くいた。憲法14条に「平等の原則」というものがある。それに反するという主張を東京高裁ではやっていました。それについても、杉並区はまた裁判が始まると虚偽の申請をし、高裁はそれをまた認めて「一定の理由があり、憲法14条を問題にする必要はない」とひどい判決が下り敗訴となってしまった。今、最高裁に上告し闘っている。ひどい判決に悔しい思いをしている。私の裁判を含めて、「雇い止め」裁判については人間の尊厳を守る闘いだと思う。きちんと仕事をしてきたし、なんらそんな「雇い止め」される理由は無い。だから人間の尊厳を守る闘いとして頑張っている。今、色々出てきている労働問題、「非正規」の問題もそうですが、働くものが人間の尊厳を守るような状態になっていない。社会がもっと働くものを大事にすれば「非正規」問題も解決すると思う。理不尽な思いを受けたら、じっとしていないで闘うことが大事だと思う。裁判は非常に厳しい状態で、最高裁でひっくり返ることは100件で1件あるか無いかの状態ですが、仮に負けたとしても、今闘うことに意義があると思っています。こういうおかしな裁判を告発していくという意味でも私は最高裁で闘っています。皆さんもぜひ支援してほしい。働くものが人間としての尊厳を大事にされるような社会を作っていくためにも、私もささやかですが裁判を通して闘っていきますので、皆さんと一緒に連帯してやっていきたいと思います。

■ 集会に寄せられた連帯メッセージ ■

沖縄・首里日雇労働組合

 

 春闘勝利総決起集会に結集された仲間のみなさん!
 沖縄では全労交を結成した全国の仲間たちの闘いを「全労交通信」を通して共有し、手ごたえと確信を強めています。沖日労は「全労交・結成宣言」が「決戦を決戦として闘いえない不徹底さをくり返してきた日本の『戦後労働運動』の根底的突破を目指して闘う」と明らかにした原則を支持し、その実現のために闘います。われわれは闘いの只中から闘いを渇望する仲間たちと結びつき、ともにスクラムを組み前進する決意です。
 沖縄では名護新基地建設をめぐる情勢が煮詰まっています。防衛省は地元誘致派を取り込み、「埋立申請」手続きを強引におし進めようとしています。この先に待ち構えているのは工事着工です。闘いは正念場を迎えています。「補償金」に群がり未来を閉じてしまう誘致派は確かに恥ずべき存在です。しかしながら、名護市民をはじめ闘う沖縄労働者人民は、新基地建設阻止を頑強に闘いぬいています。辺野古で、高江で、普天間で、実力闘争に確信をもつ仲間たちが立ちはだかっています。このことは自信と誇りをもって報告することができます。普天間基地解体・名護新基地建設阻止の闘いは、沖縄にとって決して負けられない闘いです。それはとりもなおさず、総決起集会に結集した仲間たちにとっても負けられない闘いだということです。労働者人民の苦闘を共有し勝利に向けて闘う、それがわれわれの求める団結です。沖日労は闘いの現場に立ち続けます。団結を強化し、普天間基地解体・名護新基地建設阻止の闘いに勝利しよう。春闘勝利から安倍政府打倒へ進撃しよう。

郵政労働者 吉田明夫さん

 

 春闘総決起集会に参加されたすべての仲間の皆さん。大変ごくろうさまです。本日は都合で参加できないことを皆さんにお詫びし、集会の成功を祈念しつつアピールを送ります。
 東北・関東大震災から2年が経過しました。いまだに多くの被災者が生活難を強いられ、福島第一原発では被曝を強いられながら労働者が作業にあたっています。そのような中、福島の郵便外務員は放射能被害地域にも配達に行っています。余震に慣れ、放射能に慣れ、報道に慣れ、事の深刻さも薄められています。長時間の野外作業に従事し、特に放射能値の高い側溝や軒下にあるポスト周辺に立ち止まり、降雨時や降雪時、さらに砂塵の中もほぼ無防備な格好でバイクを走らせているのです。JP労組はこの事態に目をつむり、大飯原発の再稼働に関してもなんらアクションをおこそうとしていません。
 今回の総選挙で「憲法破棄・核武装・排外主義・差別主義」の石原、「『日の丸・君が代』処分・労働者の権利剥奪」の橋下の2人が合流したことは決して軽視できない事態です。自民党は、安倍・石破新執行体制のもとで改憲と新自由主義の極右路線を意識的に選択しました。今後ますます矛盾のしわ寄せは労働者人民に襲いかかってくることでしょう。日本郵政グループは「新人事・給与制度」を打ち出し、仕事をこなす能力の高い者のみが会社に優遇されるとしてさらに労働者の分断と競争を煽り、賃下げを行なおうとしています。こんなことを断じて許してはなりません。ところがJP労組は条件緩和を要求する交渉に終始しています。
 今必要なのは資本と対決する当たり前の労働運動であり、「正規―「非正規」を貫いて連帯して闘うことだと思います。今日、ここに結集した仲間が互いに力になりあい、「連合」、全労連を突破する新たな結集軸として前進していこうではありませんか。ともに奮闘しましょう。

■ 代表呼びかけ人退任と顧問就任のあいさつ ■

            元国鉄労働者
                 佐久間忠夫さん

 

 先ほど連帯あいさつした方々はみんな裁判所で毎日のように顔を合わせている人たち。毎日毎日が闘いでもう生活の一部に闘いが入っている。こういう世の中はどうなのかと思う。私も82歳になるが、つくづく考えています。私も戦後からずっと国鉄にいて、労働運動から2・1ストライキ、60年安保とずっと闘ってきた。その中で現状がそうなってきた。ということはつまり、われわれがやってきた日本の労働運動のなかにどっか欠陥があったのではないかとつくづく最近思っています。日本の労働組合というのは本当はこれから作っていかなければいけないのではないかと思う。私が鉄道に入ったときは終戦の年で1945年ですから、当時14歳で鉄道に入った。それで同じ戦争に負けたイタリアやドイツなどずっと見てきた。イタリアではムッソリーニがやられたときには、住民が刑務所に押しかけて政治犯を釈放させた。ドイツでもヒットラーがやられたときにはやはり国民が監獄に押しかけて政治犯を解放させた。しかし、日本ではどうだったか。治安維持法でパクられた人がたくさんいた。だがこれらの政治犯はマッカーサーが来て、初めて釈放された。同じ敗戦国でもこんなに違う。それはなぜかということです。共産党は一時期進駐軍を解放軍といっていた。事実そうなんです。そこに日本の労働運動、民主化運動の欠点があったと思う。
 私は2年前にできた経産省のテント村にはずっと関わってきた。昨日も行ったがあれを見てちょっと変わってきたと思っている。何が変わったかというと、2年たっても、いまだに初めて来たという人がいる。今月10日に日比谷野音で反原発の集会があったときには、初めて来た人が次々にカンパしていく。あれを見て変わったと思う。組織とか政党とか関係なく一人ひとりが原発は命に関わる問題だと、真剣に考えて、自分で考え自分の意思で来る運動が初めてできたのかなと思っている。よく言うんですが、日本人は「寄らば大樹の陰」で、組合の執行部の言うことには従わなければという考えがある。そうじゃなくて組織というものは一人ひとりを大事にする運動を続けていかなければいけないと考えています。一人ひとりが自分の頭で考えて、自分の言葉でしゃべり自分の足で行動する、そういう運動をこの全労交の運動を通して全国的に進めていってほしいと思っています。私もあと20年、100歳までは生きて頑張っていきたいと思っています。今後もよろしくお願いします。

■ 新代表呼びかけ人からの基調提起 ■

               神奈川県地域連合労働組合
                                    川村朱美子さん

   

                                           (1)

 春闘勝利総決起集会に結集した闘うなかまのみなさん!
 われわれは昨年6月の全国労働組合運動交流会(全労交)結成から最初の春闘を迎えている。日本経団連は春闘破壊の「経営労働政策委員会報告(経労委報告)」で大量解雇、大幅賃下げ、「九割非正規化」を号令している。労働者階級に対しては「労使一体となって危機に立ち向かえ」と、「労使運命共同体」への全面屈服をせまっている。
 さらに、資本家どもは生活保護の金額にも満たない低賃金で多くの「非正規雇用」労働者を使い捨てにしておきながら、その生活保護制度さえ自分たちの延命のために解体せんとしている。「福島第一原発事故」は何ら収束することなく、今現在も大量の放射能が噴き出し、3000人の現場作業員や周辺住民を被曝させている。それにもかかわらず、資本家どもは原発の再稼働と新設を強行せんとしている。「武器輸出三原則」を反古にして世界中の労働者人民の虐殺に使う武器の生産と輸出を「成長戦略」の中に据えて野放図に拡大させようとしている。
 このように、飽くなき利潤の追求のためには労働者人民の生活や生命なぞ一切無視するのが資本主義経済の本性だ。労働者人民に失業と貧困、飢餓を強制することなしには存在しえない資本主義経済の命脈を一日も早く絶つことが労働者階級―全人民の未来を切り拓く唯一の方針だ。2013年春闘の爆発で労働者階級を資本の鉄鎖から解放する闘いの一大前進をかちとっていこう。

                   (2)

 日本経団連が発表した「経労委報告」は、「1929年世界恐慌」の何十倍、何百倍もの大混乱が不可避な世界大恐慌爆発情勢に直面する資本家どもの悲鳴とともに労働者人民にすべての犠牲を強制して延命しようとする資本の攻撃で埋めつくされている。
 「経労委報告」が言う「企業活動が4000万人の雇用を創出している」「企業は460万人の余剰人員を抱えている」とは、パナソニックやシャープなどの電機産業が「追い出し部屋」を使って強行している「13万人リストラ」を全産業に拡大する大量解雇攻撃の宣言であり、「首を切られたくなければ賃下げを受け入れろ」という賃下げ恫喝でもある。「労働市場の流動化」とは、九割の労働者を「非正規雇用」にする「九割非正規化」攻撃の宣言だ。資本家どもは「『非正規雇用』という呼称は適切ではない」として、「九割非正規化」すれば「非正規雇用」という用語なぞ不要になると言い放っている。「非正規雇用」労働者の賃上げ要求に対しては「非正規労働者に賃金カーブという概念は成立しない」と、一生、低賃金、賃上げなしで使い捨てにすると言い放っている。「デフレで実質賃金は上がっている」とは、大幅賃下げ攻撃の宣言に他ならない。NTT資本は60歳以上の労働者の雇用延長を口実にして20歳~40歳台の賃下げを開始している。
 これらの攻撃を強行するために資本家どもは「解雇規制の撤廃」、「労働者派遣法」改悪、八時間労働制を解体するための「労働時間規制撤廃」―「残業代ゼロ法」の成立を安倍・自民党に要求している。

                   (3)

 労働者人民に犠牲を強制することで世界大恐慌爆発情勢下での延命を図る資本家どもと一体となっているのが安倍・自民党だ。安倍は資本家どもの「円高是正」の要求を受け、労働者人民に増税、社会保障削減、生活破壊をもたらすことを承知の上で「輪転機をぐるぐる回す」と公言して「通貨戦争」、放漫財政、インフレ経済に踏み込んだ。資本家どもの賃下げ攻撃の水路を開くために地方公務員の賃下げを春闘の真っ只中で宣言した。安倍の下にある「産業競争力会議」のメンバーであるローソン社長・新浪が「デフレ脱却を目指す」と称して「若手社員の賃上げ」を発表しているが、ローソンで働く圧倒的な比率の「非正規雇用」労働者は対象外であり、「デフレ脱却は労使共通の課題」と押し出し、労働者を資本主義経済を防衛する側に立たせるための「出来レース」でしかない。
 安倍・自民党がかかげる「三本の矢」の一つである「成長戦略」の核心は「規制緩和」と称した「金銭解雇」導入などの労働法制全面改悪であり、農・漁業、中小企業をすり潰してでも大資本を優先するための「環太平洋パートナーシップ協定」(TPP)参加―推進だ。
 670億円もの生活保護費を削減し、防衛予算の増額を決定した安倍・自民党が狙うのは反中国、反朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)―反共・排外主義を煽動して国民統合し、「敗戦帝国主義」という「恥辱」から脱するための改憲と核武装の実現だ。この攻撃が安倍・自民党と元東京都知事・石原、大阪市長・橋下の「日本維新の会」によるファシズムへの急接近によってますます拍車がかかることは明白だ。

                   (4)

 「連合」、全労連は日本経団連や安倍・自民党と一体となって「デフレ脱却」を合唱するに至っている。占領軍(GHQ)の命令に屈服した「2・1ゼネスト中止」を敗北と総括することもなく、「一歩前進・二歩後退」なぞとごまかしの集約をした日本の「戦後労働運動」はこのような惨状に行き着いている。資本主義経済を防衛するという土俵に「連合」、全労連が上がったことにほくそ笑んで日本経団連会長・米倉は「わが国企業労使も対立の時代を経て、現在の良好な関係を構築した」なぞと言い放ち、さらなる「労使一体化」を進め、「労使運命共同体」に取り込もうとしている。
 昨年6月、われわれはこのような「戦後労働運動」の限界の根底的突破をかかげて全労交を結成し、闘いを開始した。「福島第一原発事故」後の最初の原発再稼働攻撃に対して大飯原発ゲートへの実力進撃のデモを闘い、警察・ガードマンとの実力攻防でゲート前を封鎖・占拠する闘いへと波及させていった。沖縄・首里日雇労働組合は普天間基地解体にむけた実力進撃デモを闘い、オスプレイ配備阻止の基地ゲート封鎖・占拠―基地機能停止を闘い取る先頭に起った。この闘いは現場での資本や国家権力との実力攻防にかちきることで労働者の闘いの展望が切り拓かれることを鮮明にした。
 われわれ全労交は労働者階級の最底辺から「企業主義」「本工主義」「国益主義」と鋭く対決してきた寄せ場・日雇い労働者、「直接雇用」「無期限雇用」の原則のもと「九割非正規化」攻撃と先頭で対決する「非正規雇用」労働者の結集をもって全労交を結成したことを誇りとする。さらに、2013年春闘の渦中で原発廃止にむけて闘う元原発労働者の合流を実現したことは決定的に重要だ。

                   (5)

 2013年春闘で寄せ場・日雇い労働者は、越年・越冬闘争で打ち固めた団結で「食っていける賃金を払え」と求人業者への春闘要求の闘いを開始している。3月25日に全国から東京に結集して春闘集中行動として元請けゼネコンや日本経団連への追及・弾劾行動と労働法制改悪、生活保護削減攻撃、労働者使い捨てを野放しにする厚生労働省との団体交渉を闘う。教育労働者は卒・入学式での「君が代」不起立の闘いに決起し、地域連合労組は支援の行動を貫徹している。「非正規雇用」労働者は「偽装請負」や「雇い止め」攻撃の責任を追及する行動を頑強に闘いぬいている。
 われわれは「一人の労働者の犠牲も許さない」という労働運動の原則を貫徹し、全産業労働者の春闘への決起と全労交への結集をかちとっていかねばならない。日本の労働者の多くが未組織のままだが、それは「戦後労働運動」に対する絶望のあらわれでもある。原則的な闘い、粘り強い闘いが登場すれば今の状況を一挙に変えていくことは可能だ。世界中でゼネストに決起する労働者たちの存在がそのことをハッキリ示している。安倍・自民党が国会を制圧した今、労働者の大衆的決起が資本や安倍・自民党の攻撃を粉砕する一切の鍵だ。安倍・自民党の改憲―核武装にむけた攻撃は大間原発建設再開、名護新基地建設をめぐって激化する。闘う労働者が攻防の現場に立ち、体を張った闘いで粉砕することを実現するために、全労交は全力を集中しよう。本集会で闘う隊列を打ち固め、勝利にむけて突き進もう。

■ 会場からの発言 ■

        仙台市職労中央執行委員
                       石渡正人さん

 

 3・17に結集された皆さんに呼びかけ人の一人である私から、特に自治体をめぐる状況についてと、今年の春闘の課題について若干話していきたいと思います。
 基調でもあったように、自治体労働者の場合について言えば、国家公務員の7・8パーセントの賃金削減を政府が閣議決定で行なったのですが、基本的には小泉政権の時代から「公務員制度改革」というものが進められてきた。ところが、当初の予定では来年から人事委員会の勧告は廃止ということになっていたものが、民主党から自民党に政権が交代する中で、公務員の旧制度についてどうするのか、身分をどうするのか、このことについての法案がだされたまま、止まっている状況です。なぜ止まった状況か。私は、1970年代に入りましたが、その中で権力の末端機構という位置づけが自治体労働者、あるいは公務員労働者に対してあった。その時代はいわば、理念としてそういう実態があったに過ぎないが、現在は公務員制度を、公務員の身分というものを、まさに権力の末端機構、当事者機構としてもろにやらせようとしている。特に、今の自民党政権は民主党政権が作ったものをさらに推し進め、より強固に推し進めようという動きになっている。もう一つは、先ほど冒頭に話したように、国家公務員の賃金削減が7・8パーセントになって、地方公務員も同じに削減しろと各自治体に強要するという攻撃になっている。ウソか本当かはわからないが、一応自治労は民主党支持をしてきたことになっていて、なかなか動かない。今回の選挙で自民党が政権を奪回したにも関わらず、これまでの労働組合の運動のあり方としてストライキをやるとかそういうことがまったく無いのが今の現状です。その中で一定の方針としては、4月26日に自治労で統一ストライキを構えるということになっている。ただこれまでは、産別一本で戦術を構えていたものを、判断は各自治体の問題、各単組の問題だとして、産別の力をひとつにしてやる運動にはなっていない。そういう意味では難しい問題があり、なかなか運動が進んでいない。
 今年の春闘の課題としてあるのは、何人かの方も発言していますが、「非正規雇用労働者」の問題です。自治体の場合二つ問題がある。ひとつは自治体における「非常勤労働者」と言われる労働者が約45万人います。自治労が組織しているのは一パーセントに過ぎません。このことについて先ほどの岩﨑さんの件と同じように、市役所のことについて言えば、「雇い止め」は「任用雇用」だから5年なら5年で終わりです、というような形になっている。その「任用雇用」での「雇い止め」問題と雇用問題を向き合いにするような運動が一つの課題。もう一つは、外郭団体といわれている、いわゆる市の職員ではない団体の労働者についてです。ここについて、実はうちの単組には5つの「非正規雇用」労働者の外郭団体の組合があります。ここで最近起きてきている問題は、「労働契約法」で5年を越えた場合について「正規」として雇用するという規定がある。ところがこの間、5年以下の採用にするという動きが出てきて、「雇い止め」問題、雇用問題という二つの問題についてまだ解決していない。つまり法律に対して運動で対決をする、実際の行動の中で、「雇い止め」や解雇について撤回をさせる運動を春闘の中でやる必要がある。冒頭に2人の方が毎日のように闘っている報告をされてました。われわれの闘いはまだ甘いかもしれませんが、さらに運動を広げながら皆さんとともに闘っていきたいと思います。

「キヤノン電子株式会社とキヤノン電子労働組合の共同の退職強要に対する損害賠償請求事件」当該
眞壁とし子さん

 

   私は今日、埼玉県の長瀞町から来ました。全労交通信にはいつも争議支援を載せていただきありがとうございます。私の事件についてお話をさせていただきます。
 私は、埼玉県の秩父市にあるキヤノン電子労働組合の事務員として30年以上勤めていました。現在、二つの事件を闘っています。一つは解雇事件です。私だけの労働条件の不利益変更について、私が不同意したとしても、使用者のキヤノン電子労働組合が話し合いを続けると約束したので、私は不同意の意見表明をしたところ、これを理由として事前の説明は一切無く、わずか6分程度で30〇年以上働いた労働者である私を当日解雇としました。私はなぜ解雇されなければならないのか目の前が真っ暗になりました。しかし、私には一点の解雇される理由もないということで、翌日に仮処分の申し立てをしました。残念ながら司法は労働者としての私の権利である不同意の意見表明は不当な行為と判断し、解雇を認める決定をしました。最高裁への特別抗告も棄却されたため、現在本訴に向けて万全の準備を整えているところです。もう一つは損害賠償請求事件です。キヤノン電子株式会社と私の使用者であるキヤノン電子労働組合が、共同で退職の強要をしたことに対する事件です。発端は会社の意向を受けて使用者の労働組合が、私を健康保険から排除しようとしたことです。具体的には健康保険の合併の際に行政への申請内容を無視して、使用者である労働組合は、合併先の保険組合には加入できないので、国民健康保険に加入しなければならない、と説明しました。しかし、国民健康保険は退職しなければ加入できません。そして同時に、私に対して退職勧奨も行なわれていたのです。私は合併先の健康保険組合や行政に連絡をし加入できることを確認した結果、退職勧奨は止まりましたが、その後大幅な賃金の減額など退職強要が始まりました。現在さいたま地裁熊谷支部にて係争中です。次回の期日は5月7日です。詳細については今日お配りしたビラに書いてありますのでごらんいただければ助かります。今後、証人尋問が行なわれ裁判はいよいよ山場を向かえますが、私の二つの事件を日本中の労働者の問題として皆さんに広めていただければと思っています。大手企業と労働組合という二つの被告を相手に闘っていますので、大変厳しい状況ではありますが、あきらめずにこの問題の実態を明らかにしたいという思いで裁判に起ち上がりました。皆さんの支援を頂き闘っていきたいと思っています。
 私は、今日の問題は司法の問題と考えています。当然政治の問題も大きいのですが、それ以上に憲法や法令の問題、そして労働者の言い分をまったく聞かず常に強者である企業の言い分のみ取り上げて不公正な判断をする司法の問題は極めて問題です。なぜなら、納得のいかない不条理は労働者から誠実さ、勤勉さを奪ってしまうからです。結果的にわれわれの生きる力を奪い荒廃をもたらすことになってしまいます。一昨日、安倍は「環太平洋パートナーシップ協定」(TPP)参加を表明し、経済破綻へと歩み始めてしまいましたが、最後の一線を越えさせないためにも労働者を分断するイデオロギーを超えて力を結集し闘っていかなければならないと思っています。20年以上闘っているある労働組合の機関紙にはこうありました。「団結は命。闘争は力」、まさにわれわれはこの言葉を共有し、忘れることなく闘っていきたいと思います。皆さん連帯してともに闘っていきましょう。

                      世田谷地区労事務局長
                                根本善之さん

 

 こんにちは。ご苦労様です。この度推薦され、呼びかけ人の一人に加えさせていただくことになりました。よろしくお願いします。
 世田谷地区労には、昔は、「連合」組合、全労協組合、全労連の組合を含めた、100以上の組合がありましたが、現在28組合になっています。私はそこの事務局長をやっています。労働組合の中では「連合」が結成されて全電通やさらには全逓とかが抜け、私鉄の組合も抜け、残っているのは区職の全労連や建設ユニオン、全建総連の土建一般、そして清掃や水道の労働組合だけですが、残って地域の労働運動をやっています。「連合」が結成されて今だに地区労を名乗っているのは、やはり国鉄分割・民営化の中で、その闘いを地域から闘わなければならないという思いと同時に、地域の不当解雇に対して一人の解雇も許さない闘いをやれるのは私たちだという思いからです。東京では世田谷だけだと思っています。今日はこの間の経過について話したいことがあります。皆さんもご承知のように昨年12月に衆院解散総選挙と同時に都知事選も行なわれました。もちろん、石原都政を継続させるかどうかというそういう闘いでもありました。石原は、新銀行東京で赤字を出し、オリンピック招致に多額の税金を使うと同時に8000億円の預金をし、一方で福祉を切り捨て、都民サービスの職場や施設を民間委託し、病院を統廃合し指定管理者に丸投げするなど安上がりの行政を進めてきました。そして、「日の丸・君が代」を教育現場に強制する、そういうことを行ない、改憲を掲げ、自衛隊参加の防災訓練を作り上げてきました。さらに、「障害者」差別、女性差別、高齢者差別、外国人差別、そして高校無償化から朝鮮学校を排除してきました。排外主義といわれるいじめの石原都政だったと思います。石原都政の継続を許さない労働者市民は、日比谷派遣村・村長でもあり、反貧困ネットワーク代表でもある宇都宮健司弁護士を擁立して、地域で「勝手連」を作り、この選挙を闘いぬきました。選挙戦の中盤の12月8日夜8時頃、三鷹市の公団住宅で宇都宮候補の法定ビラをドアポストに配布中の労働者が住民の通報で不当逮捕されるという事件がありました。法定チラシ配布で、たとえ住民からの通報であったとしても、住民のポストへの配布を犯罪行為とするのは表現の自由への不当な侵害であり、選挙活動を大幅に制限するものです。不当逮捕された方は拘留されずに自宅に帰れましたが、これまで1995年の自衛隊イラク派兵反対のチラシを自衛隊官舎に配布した立川自衛隊監視テント村の3人が住居侵入をデッチあげられ起訴されてきました。他にも、高校の卒業式にチラシを保護者に配った元教員が威力業務妨害で、また政党ビラを警視庁の住宅のポスト、マンションのポストに配った国家公務員が住居侵入、あるいは国家公務員法違反で起訴され闘って敗北しています。こうした一連のポスティング弾圧は、運動が大きく広がろうとする反戦・平和運動潰しであり、リベラルな市民・住民運動とその政治的表現を狙い撃ちにした弾圧だと思います。こういう地域の状況があります。そして、私は清掃労働者ですので瓦礫の問題についても若干触れておきたい。12月のこの事件があった次の日、12月9日に、10月17日の駅頭情宣行動を理由として大阪で阪南大学の准教授の下地さんを始め3人の方が不当逮捕される事件があった。駅頭での宣伝行動が不当逮捕されるということはその運動つぶしであり、また下地さんたちは大飯原発の再稼動反対運動の先頭を担っていたとも聞いています。そのような労働者のまたは市民活動の表現の自由を圧殺するような弾圧が続いていますので、皆さんとともにこの春闘の中でも気をつけながら闘いぬきたいと思っています。東京では、今まで様々な争議組合の行動がありますが、そういう運動とも連携をしながら、ひとつでも多くの勝利をもぎ取るということでこの春闘でも共に頑張っていきたいと思います。共に頑張りましょう。

   ヤンマー争議当該 びわ湖ユニオン書記長
                     稲森秀司さん

 

 私と共に闘ってきた佐々木が約1ヵ月前の2月12日に逝去しました。一昨年の暮れに肝臓に癌が見つかって、それから闘病生活という形で就労闘争の一線から退いてきたという形にはなっていますが、ただ労働委員会であるとか、びわ湖ユニオンとして初めてヤンマーに対して行なった団体交渉には参加するという形で、決してあきらめることなく闘ってきた当該です。その当該の闘いが亡くなるということで潰えてしまったというところがあります。
 さて、ヤンマーの闘いです。3月21日、ヤンマーが長浜で新たに建設した「ヤンマーミュージアム」は、「ヤンマー百周年記念」の一環の行事という形で建設が進められていたものですが、この建設に当たって長浜市も市の条例を「改正」してまでヤンマーに助成金をだすという形で関わっています。本来であれば、市の助成金を出すのであれば、市の建設業者であるとか、市で働く建設労働者の方に利益を還元しなければなりません。しかし、ヤンマーが施工業者に選んだのは大阪にある竹中工務店です。長浜市の雇用には一切関わっていない。そういったものに長浜市がお金を出す、しかもこの「ヤンマーミュージアム」というのは入場料までとる商業施設です。そういうところに公金を提出する長浜市に対しても抗議を行ないたいと考えています。この3月21日の闘いは、亡くなった佐々木に対する弔い合戦であり、そして私たちがずっと闘ってきたヤンマー資本に対して絶対に許さないという姿勢を示すものです。多くの皆さんのご参加を呼びかけたいと思います。長浜の地は非常に遠いです。しかし、この闘いというのは私が解雇された2009年の2月15日からすでに5年目になる闘いの一つの大きな山場だと考えています。このヤンマーが行なってきている労働者に対する容赦の無い攻撃を決して許さない。許すことができないのは、当該の佐々木が解雇されて健康保険にも入れず、そして病院にもかかれなかったその中で末期癌になり、亡くなっていったというこの事実です。ヤンマーは私の裁判、あるいは佐々木の裁判でも解雇したのは〝リーマン・ショック〟というやむにやまれない理由があったから「雇い止め」にしたんだという発言を繰り返してきた。しかし、2011年3月11日の東北・関東大震災の震災特需という形で2012年度の企業の収支決算は2011年度に対して400パーセントもの利益増となっている。その中でこの間ずっと要求してきた雇用という部分について、企業の裁量権を盾に「あなた方は雇いません」と公言して憚りません。こういうヤンマーに対して徹底的に闘っていきたいと思います。今後もご支援よろしくお願いします。

            全国寄せ場交流会
                 鈴木ギャーさん

 

 本当に今日発言していただいた方々、色々な現場で様々な苦闘をされ、しかし資本と非和解に闘うことが、労働者をいいようにコキ使い、使い捨てにして野宿を押しつけ、野垂れ死にを押しつける、あるいは一方で戦争で他国の労働者人民を虐殺して生き延びようとする資本家どもを許さないんだという闘い、そこにしかわれわれの未来は無いんだというそういう思いが一人ひとりの発言から強く伝わってきました。こういった厳しい時代をわれわれは全労交で頑張っていきたいと思います。
 日雇い、野宿の労働者の現状としては、本当に仕事が無い。仕事がほしいというのがみんなの願いです。福岡においても毎週福岡市に対しての「仕事をよこせ」の闘いをやり抜いています。生活保護一辺倒の施策で福岡市にいた1000人ほどの野宿の仲間はかなり減っています。そのうち70人ほどが集まって「仕事よこせ」の闘いをやっています。福岡の寄せ場は築港ですが「浜」と呼んでます。寄せ場を拠点としてさらに闘いを進めていくためにも仕事をかちとる闘いを進めています。こうした仕事が無いという労働者の足元を見て福岡でも原発の被曝労働を手配師、人夫出しの業者、派遣業者などが寄せ場の労働者を原発に誘っています。今日、「福島第一原発事故」の瓦礫処理の仕事から一昨日帰ってきたばかりの仲間が来ています。そうした仕事が無い労働者の足元を見て声かけてくる。彼から聞いた話を少し紹介したい。そもそも、現場が福島県のどこかもわからない、福島第一原発から何キロ離れているかもわからない、帰ってきた今も知らされていない。そして、作業現場では瓦礫に毎回計測器を当てて大丈夫かどうか計りながら瓦礫を処理していく仕事だったそうです。周辺には誰も住んでいない。そういう場所だったそうです。そして、仕事は三日に一度で、朝・夕には仕事が無くても放射能の測定をする。日当が1万8000円で、人夫出しの仕事としては他の約三日分の賃金が一日で出る。しかも、一日で4時間~5時間だけ働く。だから「楽な仕事」と言われ、こういう危険な現場に日雇い、野宿の労働者を送り込んでいる。この中にも原発で働いた仲間がいるのではないかと思う。昔から日雇い、野宿の仲間は常にこうして「子供を作るあてが無い」「野垂れ死にしても何が原因かわかりっこない」「飯が食えなくて死んだんだろう」とされて、ずっと危険な原発の現場に送り出されてきた現状がある。これを何とか突破していかなければならないと思います。原発で今働いている労働者は福島だけで3000人いるといわれている。いつも町でやんちゃしてきたから少しは地域のために恩返しするんだといって、頑張って働いていた仲間が被曝労働を強いられ使い捨てにされていくこの現状を変えていくためには、原発で働く労働者がストライキをしたらそれを守る現場に結集してストライキを潰させない闘い、実力の闘いが求められていると思います。本当に原発を止めることができるという展望が見える闘いをしなければいけない。そして、労働者をドンドン使い捨てにする資本に対する闘いを闘いぬく。福岡では2009年〝リーマン・ショック〟の翌年3月から生活保護の施策を続けている。そのせいで寄せ場はほとんど解体状態になっている。この状況を突破して行政に対する「仕事をよこせ」という闘いを通してそこからあらゆる闘いへ進撃していくためにも寄せ場を拠点として作りあげていくことを考えています。労働者が生きることができないという流れを切り裂くには、ひどい目にあっている労働者一人ひとりが一緒に闘っていくことでしか変えられないと思っています。安倍政府が戦争にのめり込んでいく。これに対する反戦の闘いと「仕事よこせ」の闘いを頑張りぬいていきたいと思います。

Ⅱ部 講演 「原発労働・被曝労働の実態から原発を考える」

 

 

 

 

 

 

 

元原発労働者 原発労働裁判原告

          梅田隆亮さん

 ご紹介いただきました、福岡からまいりました梅田と申します。私の原発の被曝は非常に珍しいケースで、30年前に連れと一緒に敦賀にいったんですが、当時帰ってきて鼻血が出るとか、倦怠感が出るとかで、病院にいってもその因果関係がわからずに、ずるずるしてきたんです。こんなに長く時間がたっても直らない。普通の総合病院とか個人病院にいっても原因がつかめない、だるいのは酒を飲むから肝臓やられているのだろうとか、色々な医者の診断が的を得ない。2008年のころに、1979年に原発に行ったあと長崎医大で受診した時の「検査だけは受けてください、あなたのは非常に高いから」という言葉を思い出した。そのころ、「放射能影響協会」から電話があり、確か手紙のアンケートが来ていたので、僕が電話に出たら「あなたはご本人ですか」という応答だった。なに寝言を言っているのかと思っていたが、すでにあれくらいの被曝歴では、セシウムやマンガンとか色々出ていたので、もう亡くなっているものと思っていたらしい。亡くなっていれば最後の診断書書いた病院を知らせるという「放射能影響協会」が千葉にあるんですが(現在所在地:東京神田)、それでこれはおかしいということで再度長崎医大に行ったんです。そこで「ホールボディカウンター」という検査で私の記録が残っているという事だった。ちょうどそれをどこからか聞いてTBSが報道特集という番組で出しまして、それで関西テレビも来て、一挙に吹き上がった。放射能の被曝と一言で言っても、普通の質量と違って長いんです。直ることがまず無い。セシウムは筋肉に溜まるし、プルトニウムは骨に悪さをする。だんだん抵抗力が落ちてくるわけですから、免疫が落ちて感染症の風邪とか肺炎になりやすい。この前も肺炎で一週間入院して、帰るときに医師からあと二年は何とか元気でいけるだろうという話だったので、それで色々考えたんです。その時にちょうど福岡では反原発運動で、弁護士のグループが無料でやっていて、玄海原発の原告を立ち上げていた。それとあわせて裁判にしたらどうかと話があったんです。でも結局テレビに出たり、東京新聞にも出たりで見世物みたいになる状態で、裁判はもう止めようと思っていたんですが、朝日と毎日新聞社の方が来られまして、「あの時あなたが行っていた敦賀で二人死んだことは三行しか新聞は報道していない」と。当時、われわれがお昼ご飯食べていたときに、少しでも早く出ようという意識にかられて、若い連中が冷却水、あの燃料棒が入っている冷却槽にストーンと落ちたんですね。サーとみんなで引き上げて、えらい早くに毛布で包んで連れていったんです。すぐに帰ってくるだろうと思っていたら、一人は一週間後に死んで、もう一人は1ヵ月後に死んだ。その労災認定の病名が「火傷」なんですね。「やけど」です。どうして水に落ちたのに「やけど」なのかということが思い出されてきまして、労基署からその時の記録を取り寄せたんです。
 3・11が無かったら、延々と死亡の原因がわからないままです。私の場合は長崎の国際医学センターで診断書と核の種類まで全部出てきたんです。だから労基署の窓口で、はね切れなかった。労災は大概窓口ではねられるんです。とうとう松江から労基署が来るんですが、「間違いなく被曝はしているが、8・6ミリシーベルトしか被曝していないと労災認定を出されない」との判断が出たんです。それを長崎大学のすぐ近くにある長崎新聞が取り上げて、全面に出たんですが、もう体力が無かった。どうするか、ということになって、裁判やることよりも、こんなことしても何かプラスになるのかどうかわからないからと。その時に、ドイツとフランスの国営テレビが来て取材を受けた。「あなたが受けた被曝量と同等の被曝をチェルノブイリで受けた女性に、首が曲がったり、手が曲がったりした赤ちゃんが生まれてくる。若い人の遺伝子に入って長い時間かけて出てくるから、あなたはそれを伝える義務があるのではないか」と言われた。これが一番のきっかけです。自分がそのことを話して裁判にはとにかく負けてもいいから、とにかく世論に訴えたら、いくらかでも若い人が考えてくれたらと。もうこの歳になって見世物になっても我慢できるということでその弁護士さんの裁判でやることになった。私には不思議なことがあるんです。法テラスが裁判起こすときに色々手助けしてくれる、皆さんご存知かと思いますが、その法テラスが裁判費用の四〇万をぽんと出してくれた。みんなのために最後に裁判やるのがご恩返しではないかとというのが私の考え方です。今月3月13日が第5回目の公判でした。最初の公判からずっと鈴木さんが精神的にもフォローしてくれました。非常に情緒不安定でズタズタの状態が長く続いていましたが、鈴木さんから話を色々聞いたり感謝している。今日の話を聞いて私にできることがあればと思いました。そして、原発についてゆっくり話してみたいと思いました。原発の裁判は非常に難しい。この話を聞いた人が、針の穴に足を突っ込むようなことだから止めとけ、と。まさにその通りで、証明するのが非常に難しい。裁判官も原発をわかっていない。一生懸命原発のどういう劣悪現場で働いたか、そこにどういう放射能の影響があったのか、必死に弁護士が教え込むんですが、実際炉心といって炉があるんですが、真ん中に入ったら、こんなに厚い鉄の扉が閉まりますと、もう中に入っている人間と下請けの労働者しか中に入れませんので、それを証明するのは非常に困難。中は「管理区域」とマークがついているところは非常に放射能の濃度が高いというのは常識でわかるんですが、「非管理区域」というのがあるんです。同じ建物の同じ場所に。そこはまったく仕切りがないんです。トイレ、休憩室、シャワー室とずっとつながっているわけです。今の安全教育とかは、今は3・11が起きたから詳しい説明が毎日されてますが、われわれのときはそういう説明は一切無かった。ところが労働基準監督署はやったというわけです。やってないといってもきりが無い。これが今の争点のひとつになっている。よく考えてみてください。原子力発電所ができて、今年で相当な時間がたっている。54基の定期点検に参加した労働者が54万人なんです。54万人が1ヵ月の定期点検に入っている。それで被曝したと間違いなく労災が下りた労働者がたったの9人ですよ。あと一人、沖縄の人が認定されまして、「多発性骨髄腫」という病気で骨の病気です。認定された人で一人も生きている人はいない。私の場合はあくまで「急性心筋梗塞」ですから非常に確立が低い。ですが、これだけ立派な病院からの診断書ですから、しかも長崎大学ですから国立大学の病院です。その医師から労災申請しなさいといわれた時に「これは簡単だ」と思い、一人でやったんです。誰にも相談せずにやったんです。備え付けの労災の申込用紙に書き入れて。それが非常に間違いだった。皆さんのような方にあの時相談するような、もう少し鈴木さんと早く会っておったらよかったと思っている。松江から10回くらい来ました。長浜というところの中央労働基準監督署というところから来て、色々聞き取り調査をするんです。やっぱり最終的には、8・6ミリシーベルトしかない、ということです。しかし、そのあとが大変だった。その後に、「8・6ミリシーベルトといったら、一日分の被曝線量ですよ」と先ほどの国営テレビの方が言ったんです。「あなたの追跡調査をさせてもらいました」ということでその方が民間の原子力資料情報室から資料を取って調査に乗り出し、「少なくてもあなたの被曝量は500ミリシーベルトは間違いなくある」と。それから先は、この間入院した医師から言われたとおり、2年以内が勝負だと思う。これから原発の再稼動が続いてくるだろうと思いますが、どうしても若い人に行くなとは言えないが、このリスクだけはしっかり考えてもらえるような訴えをしていこうという気持ちは持っております。何処までできるかわかりませんが。 原子炉の中というのは非常に異様なところなんです。外からはまるっきり見えませんし、炉心という、燃料棒3本あるのを全部引きはずして、冷却水を中に入れてやりかえるわけですから、われわれとしてはもう少し詳しい話を危険な状態を教えてくれれば、本当に助かるわけです。ある原発でそろそろ再稼動させようという準備に入っている電力会社から聞いたんですが、やはり人が集まらないそうです。だから、やはり野宿している人などを昔から集めてきたんですが、今はその野宿している人も来たがらない。極めて切迫した状態になっているのは間違いないと思います。これをどういう風にして人が集まらんようにしていくか。原発一ヵ所一ヵ所、人間の手で全てやりますから。ロボットが行くとか奇想天外な話が出ますが、全部人間の手で指で足でやります。配管、溶接、それから配列、掃除、全部人間がやらなければならない。どのくらいの人がいるかというと1ヵ月で3000人必要です。この3000人を集めないと、原発は動かない。動かないと1日5億くらい金が浮くそうです。だから一矢報えるとすれば、仕事が無い、派遣社員で失業している方に、原発の話にあまり応じないでくれと、行ってもいいけどきちんと中の状況を説明してくれる業者ならかまいませんが、でもほとんど北九州では暴力団です。暴力団の組長の奥さんが会社を作ってそれで集めたり、非常に厳しい状態が続いています。だから、この裁判は勝敗抜きでやれるところまでやってみようと思います。裁判というのを私は知らなかったんですが、4回か5回で結審が出るのかと思ったら、とてもじゃない。最低でも、一審だけで3年はかかる。それまで自分の体が持つかどうか。一番健康なときに、中の情報を全部話して、情報を必要な方に必要であれば何処にでも言って話そうという気になりました。重ねがさね申しますが、こういう場所は私は初めてなので、実に鈴木さんには非常にお世話になって、精神的にもうつ状態のときでも声をかけて頂いたり、いろんなことでお世話になって忘れきらないという感謝の気持ちもこめて申し上げます。もう一ヵ所稼動になりかかっているところがありますから、何処でもいいですが、原発があれば反対する人もおると思います。何処でも行って話したいと思います。
 原発というのは大概入り江みたいなところ、淡水と海水が交わるところが多い。だから、朝現場に入ろうと思って入口にいったら、ボラがずーっと浮いている。知らないからボラを2匹~3匹持って帰って民宿で刺身にしたらうまいとかいっていたが、2インチくらいのパイプから冷却水が温水になって24時間ずっと流れていたんですね、冷やしたやつが。化石燃料ですね、ウランと思いますが。それが殺しているわけです。しかし、帰るときはその海面がきれいにボラが浮いていない。その時は気がつかなかったんですが、海面をきれいにするため、漁業組合から電力会社が金で買い上げていたんです。だからなにも文句が言えない。こういう状態が次々日本で起きてくると大変なことになるのではないかと思っています。

■ 質疑応答 ■

,その当時は防護服とか着ていたのですか。
,放射能防護服はあった。温度が70度あり、きちんと着て入るとすぐに汗だらけになる。だからはずしていても誰も何も言わない。アラームというのがある。それが入ったとたんに鳴り出す。だから全部はずす。一人の年寄りの人にみんな預ける。「鳴き殺し」というんです。帰るときにまた返すんです。だからみんな数字は同じなんです。あれをまともに安全教育を、3・11のようなことを現場で言っていたら2割はそのまま帰る。安全教育はあることはある。しかし、本当に放射能にたいする危険なリスクは詳しく話はしない。

 

 

,新潟の原発に行った仲間から聞いた話では、防護マスクやメガネをしていると仕事にならないから全部取っ払うということですが。
,原発によっては「鳴き殺し」をやっている。30人も中に入って一斉にピーピーなったら仕事にならない。

 

,放射能計測器が胸についているが、切っておけというのが上からの命令だと言っていましたが。
,東京新聞の記者が言っていたのは、鉛をかぶせてやっていると。新聞にでたんですけど、30年前からしょっちゅうやっていた。いまだになにも変わっていない。裁判には負けます、勝つはずがない。14人くらい弁護士がついてますけど。だけどこれで人間が集まらなくなったら原発は終わりです。この歳になって一矢報いるとすれば、これしかないと思っています。

 

,日本には防護服がないと聞きました。防塵防護服だと放射線量は防げないとも聞きました。
,確かにあれを着て放射能を防げるかというと疑問です。中は70度くらいあるんです。外が30度。1時間やるんです。考えようによっては楽な仕事に見える。でもこれ以上やったらアウトになる。だけどどういう風にアウトになるかは教えないんです。裁判でもこれは言おうと思っている。

 

,ドイツやフランスに比べると原発は後進国だと聞いていますが。
,聞いた話ではドイツには下請けという制度が無いそうです。一対一で話ができるということです。国民性が違うんですね。その方が言うには、日本には「謙譲の美徳」という、昔の人がいう言葉ですが、黙っていればいいんだという考えはドイツには無いそうです。
 島根に行ったときは防護服もない、普通の服で靴はズックでしたね。

 

,3・11以降だと思いますが、今、梅田さんが話してくださったような、被曝労働をしている現場の労働者のこと、それから立地現場でのことなどそういう現場労働者抜きの運動が多いような気がしています。現場労働者抜きの運動ではあまり力にならないのではないかと感じているのです。原発を無くそうという運動が全国で起っていますが、その中身が被曝労働を強いられている労働者、今現在も被曝労働をしている労働者のことが抜きになっている。
,私自身もこんな危険な目にあうとはまったく考えなかった。私の場合は国立大学の診断があった。労基署も。だが、それ以外の方々は労基署の窓口に出しただけでポイされる。それでいろんな政党に行っても、共産党でさえ嫌がる。未組織労働者とか「派遣」とか。最初は近所に公明党とかいう人がいたので聞いてみたがダメだった。だんだんマスコミとテレビ局が取り上げ出してきた。私が信じられるのは、鈴木さんとこの場所にいる方々。今までたくさんの方が来ました。公明党、民主党ぜんぜんダメです。情報だけくれと。社民党も来ました。終始一貫して原発反対してきたといって新聞まで送ってきた。ぜんぜんダメ。北九州市と福岡市には福島で被災された方が、3000人以上来ています。奥さんが子供連れて。ご主人は仕事が無いからこちらにこれないと。原発で子供の甲状腺が心配で色々動いている。その人たちにも裁判を通して話をしたい。もと慶応大学の今はシーボルトという長崎の県立大学の講師をしている方が、この方がエルモンドというスペインの新聞に寄稿した。その中に私も入っている。みんな原発に行ったことは隠したがる。閉じこもってしまう。何とかしていきたい。残りの時間は2年しかない。裁判で負けても人が集まらなければ、日立プラント、三菱重工、東芝この3社がアウトになる。これにも力を入れたい。裁判は大変です。裁判官が原発がわからない。一生懸命、弁護士が推認を裁判官に投げかける。そうした裁判で鈴木さんにお目にかかれてホッとしました。今、東京で原発反対といって首相官邸に行きよるのは、共同通信から何度も電話が来ましたが、これはもうカーニバルみたいになっている。だからお祭りだと。メディアはあれに一行も割けんといっている。六ヶ所村で汚染された水を袋詰めにして自転車で投棄している方がいてこの方も癌で、こういう人を拾っていったほうがいいとマスコミの方に言っています。だから、私もそういうお祭りがすんだら本当のことを、誰か私の言ったことを、書類を読んでもらって検証してもらえればいいと。そうすれば、仕事が無いからちょっと行ってくるというような軽い気持ちはなくなると思う。3000人集まらなければ終わりですから。講談社とかから本を書いて記録として残さないかという話もありましたが、だけど口で伝えて調べてもらって次々原発を止めていけたらと思っています。

 

,現場の労働者が告発しようとするとき誰がどんな妨害をしてくるのか、梅田さんの経験を聞きたい。
,私のことに関していえば、東京にいる柴野徹夫さんというジャーナリストの方が、「原発のある風景」という本の中に詳しく書いています。それと樋口さんというカメラマン。止めようとすることはしょっちゅうある。無言電話かかってきたり、最近は慣れてきた。私の手を離れている。何も知らずに病院で死んだ方も、原発にいったという履歴が千葉にある「放射能影響協会」(現所在地:東京神田)に全部登録されてます。この間も東北電力で2万人くらい全部記録を出さなかったと新聞に出ましたが、それくらい人間の作業員として使っている感覚ではなく、数です。何人で何処までやったという数です。一人ひとりの命を預かっているという気持ちはかけらもありません。だから、私たちが原発はあったほうがいいとか無いほうがいいとか、軽々しくはいえないが、とにかくこれを止めることができるんです、やり方ひとつでですね。そうすると考え直してくれるのではないかと思います。