3・21 ヤンマーミュージアム闘争と長浜市申入れ行動

3・21ヤンマーミュージアム闘争と長浜市申入れ行動 

 

 ヤンマーは創立100周年を記念して「ヤンマーの歴史と未来への取り組み」と称し、悪徳企業であるにもかかわらず、長浜市から「企業誘致助成金」(年額300万円余)をうけて「ヤンマーミュージアム」を建設した。「創業者・山岡孫吉の農業をもっと楽にしたいという想いがディーゼルエンジンの小型化に結実し、地域とともに100年に渡って歩み、社会に貢献してきた」とヤンマーの歴史を自画自賛している。しかし、「非正規雇用」労働者や外国人労働者を低賃金・劣悪な労働条件で使い捨てにしてきた「負の歴史」、今もなおヤンマーの雇用責任を追及する稲森秀司氏(びわ湖ユニオン書記長)の闘いが頑強に続いていることについては「歴史」から抹消している。3月21日、「ヤンマーミュージアム」オープンを弾劾すべく闘いが展開された。
 ヤンマーミュージアム前では、私服刑事、ガードマンが敷地内にすでに配置されている。「びわ湖ユニオン」「ヤンマー闘争を支援する会」連名の「ヤンマーミュージアムは語らない 2009年『非正規雇用』大量解雇」ビラが午前9時45分から支援者によって来館者に配布される。
 ミュージアム前の集会では、まず稲森氏が発言に起つ。「委員長・佐々木が、2月12日に肝臓ガンで逝去しました。入院中、ベッドに横になりながらも、命がつきる最後の最後まで携帯電話を握りしめ、労働相談を受けていました」「〝リーマン・ショック〟の受注減を口実に2009年2月15日、直接雇用に切り替えた『派遣社員』の半数以上に当たる250人をヤンマーは『雇い止め』にしました。しかし今、3・11震災特需によって400パーセントの経常利益を上げ、求人もおこなっています。そういった状況であるにも関わらず、ヤンマーは私を雇おうとはしません。佐々木の遺志を引きつぎこれからも闘ってまいります」。
 次に、「ヤンマー闘争を支援する会」、「平和と民主主義全国交歓会」、「関西合同労組」、「アルバイト派遣パート関西労働組合神戸事務所」の発言が続く。最後に、「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」は、「雨の日も雪の日も毎週水曜日、たった一人で稲森さんはヤンマー長浜工場の門前闘争を闘ってきました。私たちは、微力ながらも稲森さんと共に門前闘争、滋賀県労働委員会闘争を闘ってきました。これからも当該である稲森さんの求めることの実現へ向けて連帯して闘っていきます」。
 約1時間のヤンマーミュージアム抗議情宣を終え、すぐさま長浜市役所へと向かう。
 午前11時20分から商工振興課(商工労働部に当たる)で、稲森氏が中心となって長浜市を追及。「記 一、稲森さんの再雇用 二、ヤンマーに対する助成金や税金の減免措置に対する社会貢献(公益性)の実効性の審査と指導」と書かれた「ヤンマーの長浜市内における雇用の確保等を求める要請書」を提出。約30分の要請行動となった。商工振興課は、「調査した後に『ヤンマー闘争を支援する会』に電話で連絡する」というものであった。
                   (反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会)