8・21ヤンマーびわ工場門前闘争

ヤンマーびわ工場に出勤する労働者にヤンマー資本追及を訴える稲森氏
ヤンマーびわ工場に出勤する労働者にヤンマー資本追及を訴える稲森氏

8・21ヤンマーびわ工場門前闘争

 

 月21日早朝より門前闘争が闘われた。
 「ヤンマー闘争を支援する会」は、稲森氏と同じヤンマー争議当該の故佐々木真一郎氏(びわ湖ユニオン前委員長)が2012年から肝臓がんのため闘病生活に入ると同時にびわ湖ユニオンへの活動費支給を一方的に中断した。稲森氏は、「ヤンマー闘争を支援する会」からの組合活動資金支給が途絶えた後、自らの生活保護費を活動費として労働相談を受け付け、争議や争議支援を闘ってきた。雨の日も雪の日も毎週水曜日、たった一人で稲森氏はヤンマーびわ工場の門前に起ち、就労闘争を闘ってきた。「釜ヶ崎労働者の会」は、稲森氏の闘いに連帯すべく月一回であるがヤンマーびわ工場門前闘争を闘い、滋賀県労働委員会闘争を闘ってきた。
 稲森氏を先頭に、出勤してくる労働者に「おはようございます。びわ湖ユニオンです」と笑顔で声をかける。あいさつをしてくれる労働者もいる。ブラジル人労働者など外国人労働者も多い。
 しかし早朝であるにもかかわらず、表情に覇気がなく疲れ切った顔の労働者が多い。次の日に疲労が残り、働く気力も体力も僅かしかないということはどういうことだろうか。休息も満足にとれず次の日の仕事に疲労困憊で就労しなければならないということだろう。ヤンマー資本が労働者に対して本当にきつい労働をさせていることが読みとれ、労働者に対する横暴が透けて見えてくる。労働者の使い捨てではないか。労働者として当たり前の要求をした稲森氏を解雇したヤンマーを断じて許してはならない。
 稲森氏を先頭に、ビラを精力的に配布し、残暑の厳しいなか、約五〇分の門前闘争をやり切った。来月9月も門前闘争での再会を誓い、滋賀県長浜現地での門前闘争を終えていった。
 7月31日、滋賀県労働委員会は、稲森氏に「申立組合(びわ湖ユニオン)の請求を棄却する」、「(びわ湖ユニオンは)ヤンマーの社内における組合ではなく、申立組合はヤンマーに請求する権利はない」とする不当命令を出した。滋賀県労働委員会は、当初8月30日に命令交付としていたものを1ヵ月前倒ししてきたのである。組合活動を憎悪するヤンマー資本が稲森氏をまったく雇用しようとしてこなかったことが、組合活動を理由にした不当労働行為、不利益取扱だとして、稲森氏は故佐々木真一郎氏とともに滋賀県労働委員会に不当労働行為救済を申し立て、地労委闘争を闘ってきた。ところが、滋賀県労働委員会は、申し立て主体であるびわ湖ユニオンには「請求する権利はない」として門前払いの不当決定をうち下ろしてきたのだ。徹底して弾劾しなければならない。
 稲森氏が、「アルバイト・派遣・パート関西労働組合」として取り組んだ滋賀県労働委員会への「第一次不当労働行為救済申立」では、ヤンマーの不当労働行為をまったく認めない不当決定が出された。「びわ湖ユニオン」として申し立てた今回の「第二次救済申立」では、滋賀県労働委員会は最初から「第一次不当労働行為救済申立」の蒸し返しと決めつけてかかり、5月30日に提示してきた和解案は解決とは程遠い代物であった。「第一次救済申立」のときに、稲森氏に対しヤンマーびいきの判断を下した滋賀県労働委員会の3人(公益委員・労働者委員・使用者委員)は、今回の「第二次救済申立」についても担当した。
 2013年4月新年度になり、滋賀県労働委員会は結審・命令へと向かう重要なこの時期に、担当の労働者委員を宮武眞知子(大津赤十字病院労働組合、滋賀県医労連)から鹿城和彦に交代させた。鹿城和彦は、びわ湖ユニオンが労働争議で裁判闘争を闘っている日本電気硝子労働組合の委員長である。滋賀県労働委員会は、利害関係者をあえて労働者委員に就任させてきたのである。これは滋賀県労働委員会が恥知らずにも、稲森氏をはじめとした労働者の権利を守るつもりがないことを宣言したも同然の行為だ。
 滋賀県労働委員会の不当決定に対し、すぐさま稲森氏は中央労働委員会に「不服申立」を行ない、中労委闘争の準備に取り掛かっている。稲森氏と連帯し、ヤンマー闘争勝利にむけともに闘おう。
 〈反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会〉