寄稿 「沖縄現代史のなかの『精神障害者』」(下)

寄稿
沖縄現代史のなかの「精神障害者」(下)

 

天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会
下地 大輔

 

補足―沖縄文化考

 

 これまで述べたことが、「本土」の方々には分かりにくいと思えるので、若干ここで補足しておきたい。
 沖縄全体は、確かに「本土」の社会一般とはかなり異なる地域性を持っている。沖縄の言葉でいう「ユイマール」という相互扶助の精神、助け合いの習慣はそれなりの地域共同体的な性格を色濃く残している。しかし私が言っておきたいのは、その相互扶助・助け合いの精神は、排他的性格をも含むものであるということだ。その「ユイマール」に参加できる者には、一定の条件があるのである。それは何か? あくまでも〝他者とは異なる考えを持たない者〟〝他者とは異なる言動をしない者〟―これが条件である。その条件から外れた者は、厳しい排除を受けることになる。ここに私は、「本土」にも見られる「障害者」差別、とりわけ「精神障害者」差別の源泉を見るのである。
 話はそれるようであるが、「本土」の文化全般は、中国大陸や朝鮮半島からの影響が強いが、また同時に南西諸島からの文化からも大きな影響を受けている。稲作を始めとした農耕文化や、言語、生活習慣一般に至るまでもその影響は強と言える。ちなみに、「ユイマール」という言葉の「ユイ」(結)という言葉が、千葉県等の関東の一部にも残っている。沖縄文化は、「本土」文化の源泉、少なくともその主要な一源泉だと言えるが、そうであるからこそ沖縄は、「本土」内にある差別の原型をも、鮮明な形で残している地域であると、私は考える。「本土」ではほぼ消滅してしまっている沖縄の地域共同体意識の中に色濃く残る「精神障害者」に対する差別意識は、「本土」における差別意識と、根本のところで不可分一体なのである。
 マスコミがさかんに流しているような「南の楽園」や「癒しの島」などという沖縄に対する宣伝文句が、いかに根拠のない、下らない空文句であるのかを確認して頂きたい。同時に、日本帝国主義が天皇制イデオロギーのもとで、これらの差別を温存し、助長し、育成してきたことも、同時に確認しておきたい。

 

沖縄階級闘争の最先頭へ

 

 この文章の冒頭で、私は沖縄を「闘う人民の島」と表現したが、残念ながらその内実は、闘っている人の年齢層で見ても既に六〇代、七〇代といった世代がほとんど、という状況である。この世代は、沖縄が72年「返還」以前の最も過酷な米軍統治時代を経験した世代であり、前述したように、その日の生活にも事欠く時期を経験した世代なのである。だからこそ我が物顔でオスプレイが飛ぶ現実に対して、レイプ犯罪をくり返す在沖米軍に対して、激しい怒りを燃やして闘うのである。
 ところが、「返還」以降に生まれた若い二〇代、三〇代といった世代は、その一切の権利を奪われていた過酷な米軍統治時代を知らないのが実情である。その中で、若い青年・学生の中に「同化」の意識が浸透しており、「何だかんだ言いつつも、それなりに平和な時代ではないか」という現状認識がある。しかし現実は、「返還」以前と何も変わってはいないのである。インターネットやテレビ・ネットワ―クの進歩により、東京の情報が瞬時に入って来るようになったのは事実なのだが、それで何か沖縄社会が特に良い方向に変化したわけではない。その現実を誤魔化されているに過ぎないのである。
 そんな沖縄の若者意識の変化の中にあっても、やはり沖縄の今の歪んだ現実に馴染み切れない部分が存在する。それが、若者層の「障害者」である。現在の沖縄社会への違和感、疎外観、嫌悪観。そして鋭い感受性。そういうものを強く持っていると、私は感じるのである。
 「精神障害者」が、沖縄階級闘争、沖縄人民解放闘争の最先頭に起つべきだと考える次第である。〈了〉