12・28「越年・越冬闘争へむけた上映集会」、12・29―1・3「夜回り・人民パトロール」を闘いぬく
反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会
釜ヶ崎では、「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」が12月28日に西成市民館で「越年・越冬闘争へむけた上映集会」を開催した。そして、12月29日から1月3日までの「夜回り・人民パトロール」を貫徹した。
「越年・越冬闘争へむけた上映集会」には、多くの日雇い・野宿労働者をはじめ約60人が結集した。はじめに、集会の基調が提起される。基調では、「釜ヶ崎労働者の会」は越年・越冬闘争として、12月29日から1月3日までカイロ、おにぎり、防寒着、タオル、ビラなどを持って「夜回り・人パト」を闘うこと、定期的に駅頭でカンパ活動を行ない、資金をはじめ、衣類・物資のカンパも呼びかけていることが紹介された。そして、政府によるアブレ(失業)地獄―野垂れ死に攻撃が暴露され、大阪府や大阪市に対して「仕事出し」を要求する行政闘争を闘ってきたことが明らかにされた。さらに、パナソニック、ヤンマーなど、「非正規雇用」労働者の争議に連帯し闘ってきたこと、「日の丸」「君が代」の強制―処分攻撃と闘う教育労働者と連帯する闘いに決起してきたこと、部落解放闘争をはじめとする差別と対決する闘いに決起してきたこと、安保粉砕闘争をはじめ反戦闘争や反原発闘争に取り組んできたことが紹介された。基調提起の最後に、越年・越冬闘争のスローガンが提起され、参加者全体の「ヨシ!」の声で確認されていった。次に、東京・山谷日雇労働組合、福岡・築港日雇労働組合、沖縄・首里日雇労働組合からの連帯メッセージが、つづいてヤンマー争議当該・稲森秀司氏、パナソニックPDP偽装請負争議当該・吉岡力氏からの連帯メッセージが読み上げられ、参加者から大きな拍手が送られた。1本目の上映作品は、山谷の労働者が天皇主義右翼ファシスト・国粋会金町一家と体を張って闘う攻防などを描いた映画=「山谷(やま)―やられたらやりかえせ」だ。参加者は、熱心に見入っていた。続いて、娯楽映画が上映され会場内では大爆笑がおこった。冬は、資本からみて利用価値の無くなった労働者を路上で殺していく時期である。そんなことを絶対に許してはならない。年末・年始の釜ヶ崎周辺での「夜回り・人民パトロール」への結集―なかまの命を守る行動への参加が最後に呼びかけられた。越年・越冬闘争の勝利へむけて「一人の野垂れ死にも許すな!」「生きてやつらにやり返そう!」「野宿のなかまへの襲撃を絶対に許さんぞ!」「団結してガンバロー!」とシュプレヒコールをあげ、熱気の中で集会は終了していった。
釜ヶ崎では、ドヤ(簡易宿泊所)にも住めずアオカン(野宿)せざるをえない厳しい失業状況が続いている。こうした中、大阪市は越年対策事業として今年も南港臨時宿泊所(南港臨泊)を設置したが、今年も入所資格を「あいりん地域に居住する、(原則として)40歳以上の単身日雇労働者」という入所制限を行なった。入所受付については、2010年は12月29日と30日の2回だったのが、2011年から事前登録が必要となり、12月29日の1回のみになった。入所者数は、五年前は1324人、四年前は637人、三年前は567人、二年前は493人、去年は433人(+ケアセンター・三徳寮の80人)、今年は329人(+ケアセンター110人)となった。財政難を理由にして、今回で南港臨泊を終了し、来年からは釜ヶ崎のドヤなどがあてられるという。
12月29日から、「人パト」が開始された。「人パト隊」は、ビラ、カイロ、おにぎり、タオル、防寒着、毛布、風邪薬などを持って回っていく。まずセンターの周辺で野宿している労働者のもとを回る。ダンボールや布団を用意して野宿している労働者もいれば、何の用意も無く体ひとつで寝ている労働者もいる。カイロやおにぎりを渡すと「ありがとう」という声が返ってくる。センターを一周しただけで、100人以上が寝ている。続いて「人パト隊」は、南海電車のガード下、萩ノ茶屋や山王商店街のアーケード、恵美須町駅周辺、日本橋電気街など、釜ヶ崎周辺を回っていった。釜ヶ崎では、近年、多くの日雇い・野宿労働者が生活保護を受給するようになった。だがしかし、「人パト」を通してわかったことは、前回とほとんど同数の人数が釜ヶ崎周辺で野宿を強いられているという事実だ。12月29日、稲森秀司氏と友人の2人が「夜回り・人パト」にかけつけてくれた。
6日間にわたって「一人の野垂れ死にも許さない」越年・越冬闘争の「夜回り・人パト」が貫徹された。越年・越冬闘争で培った団結をさらに強化し、「仕事よこせ!」の闘いと反戦闘争を闘いぬいていく。