全国寄せ場で越年・越冬

警視庁・浅草警察の弾圧体制と対峙して越年・越冬闘争を闘う山谷労働者
警視庁・浅草警察の弾圧体制と対峙して越年・越冬闘争を闘う山谷労働者

全国寄せ場で越年・越冬


12・27‐1・5

黙って野垂れ死ぬな! 生きてやりかえそう!

越年・越冬闘争をやりぬく


 東京・山谷日雇労働組合


玉姫公園で越年・越冬


 安倍政府の公共事業増額、また東京オリンピック開催に向けた都市再開発で、建設業界は活況を呈している。しかしこうした建設業の活況とは、山谷はまったく無縁なままだ。恒常的な失業(アブレ)がこの2年間も続いているのだ。

 それどころか、東京オリンピックのための都市再開発を名目に 行政や国家権力、また地域ボスの手によって野宿労働者への露骨な排除攻撃が強まってきている。たたき出しの激化は、野宿労働者への差別的な襲撃を誘発し、ほとんどの野宿労働者は、ブルーシートとダンボールなどで小屋立てをすることもかなわなくなってきている。

 山谷では日雇いの仕事が減って、年末・年始を迎えるこの時期、多くの仲間が極寒の下で、野宿を強制され、野たれ死にの危機に追い込まれる。さらに、建設日雇い労働者以外でも、派遣やパート・アルバイト等の「非正規雇用」労働者は、12月末で契約の打ち切りにあったり、長期休業によって収入の道を断たれてしまう。そのためネットカフェや終夜営業のファミリーレストランすら利用できなくなり、路上に放り出されてしまうのだ。このように失業と住居喪失の問題が年々、深刻化しているにもかかわらず、政府や東京都など行政は、失業問題に取り組むどころか、野垂れ死にを押し付けているのだ。

 東京・山谷日雇労働組合と越年・越冬闘争実行委員会は、一年中で最も過酷な越年期に玉姫公園を実力占拠し、「一人の野垂れ死にも許すな」と越年・越冬闘争をやりぬいた。

 まず、12月初旬から、玉姫公園での越年・越冬闘争のための準備の活動を開始する。越冬闘争の資金作りのために連日街頭に立って、広く労働者人民に支援のカンパ金、衣類・食料品などの物資カンパを訴えたのだ。おりしも「アベノミクス総選挙」と重なり、安倍極右政府と自民党などに対する労働者人民の沸々とした怒りが日雇い野宿労働者同士の越年・越冬闘争に対しては共感へと転化し、山谷労働者の配るビラに応えて「越冬、がんばって下さい」と激励の言葉を添えてカンパを差し出す人も多い。東京・山日労の事務所には、全国から支援する人々から送られてきたコメ・使い捨てカイロ、防寒用の衣類、フトン・寝袋などが続々と集まった。

 12月13日と12月23日には、越冬実の会議が開かれ、今期の越年・越冬闘争は12月27日から1月5日までの10日間とすることが決定され、越冬闘争に向かって準備の活動と体制が整えられた。



   ワッショイデモに打って出る越年・越冬闘争を闘う労働者
   ワッショイデモに打って出る越年・越冬闘争を闘う労働者

12月27日、越冬闘争へと突入


 12月26日には定例の対金町一家への金曜朝行動の後、直ちに、玉姫公園に物資の運び込みや設営のための段取りに取り組んだ。越冬本番前にもかかわらず玉姫公園には多くの山谷労働者、越冬実の仲間が結集し、野営用のテントの骨組みとなる仮設材を運び込み、またその他の物資についてもトラックを使っての搬入作業が続けられた。

 初日の27日早朝6時、越冬実の仲間が城北労働・福祉センター(センター)前に結集してくる。東京・山日労の赤旗をなびかせながら、仲間たちは、「スーパー島田屋」前に移動。早速、ハンドマイクで「玉姫公園に結集しよう」と訴えた。情宣活動を一旦終え、再びセンター前に戻り、玉姫公園での越冬突入のため全体で移動を開始する。玉姫公園では既に準備のために労働者の仲間が待機している。朝の食事と打ち合わせを済ませると仲間たちは、準備の作業に取りかかった。設営を担当する仲間は、前日に搬入された単管・継ぎ手を手にして、巧みに大テントの設営を始める。トラックに積み込んである物資などを全員で公園内に運び込む。午後1時には、炊事用の建築廃材が公園脇に届けられ、それらをマキ置き場に運び込む。炊事班の仲間は、トラックから降ろした炊き出しの道具を点検・下洗いなどしながら、越冬実の仲間たちの昼用の食事作りに取りかかる。この間も、物資搬入を担当する仲間のトラックは物資の引き取り・食材の搬入などでひっきりなしにフル稼働する。廃材は電動ノコを使って、物資班の仲間が利用しやすい大きさに切り揃えていく。

 初日は、設営など準備の作業が集中するために一番忙しい。さまざまな準備作業を終えると、越冬実の仲間たちが進行具合を全体で確認し、打ち合わせをすませる。午後6時からいよいよ越年・越冬闘争最初の炊き出しが始まる。公園外で待つ仲間たちを越冬実のメンバーが公園内に誘導して、熱々のご飯とトン汁を配る。それらを手にした仲間たちは、大テントの中で食事をかきこむ。午後七時から越冬闘争突入集会がかちとられた。

 28日には初日にやり残した設営の作業を中心に取り組み、また29日に予想される雨・風対策を施していった。夜10時ごろからポツリ、ポツリと雨が落ちてきた。予報より早まった冷たい雨で、仲間たちは全員でテント小屋の屋根を補強した。

     「団結もちつき」では多くの労働者が杵を振るった
     「団結もちつき」では多くの労働者が杵を振るった

2015五年新年総決起集会がかちとられる


 29日、本格的な雨の朝を迎えた。この日は東京都の山谷越年・越冬対策「なぎさ寮」入寮の当日受付が行なわれる。受付開始時刻より1時間早く、台東リバーサイドスポーツセンターの受付会場前に登場して、東京・山日労と越冬実の仲間たちが情宣活動を行なった。入寮希望の労働者が冷たい雨の中、長い行列を作っている。越冬実は「黙って野垂れ死ぬな」のビラを配り、「1月2日の『なぎさ寮』におれたちは激励のために訪問する。5日には玉姫公園に戻ってきて、都庁・厚生労働省追及―弾劾行動にともに起ち上あがろう」と訴えた。

 夕食後のテント内での夜の企画では28日には「核・原発問題」をテーマにドキュメンタリー「原発導入のシナリオ」が、29日には「反戦・沖縄基地問題」で、高江ヘリパッド建設反対を続ける住民闘争を描いたビデオ「標的の村」が上映された。30日の夜の企画「労働運動の現場から」では、生コン車運転労働者の争議を追ったドキュメント映画「フツーの仕事がしたい」が上映された。

 2014年の大晦日を迎えた玉姫公園では、炊き出し班の奮闘で、炊き出しのメニューに「年越しソバ」が加えられた。そして31日の夜の企画では、「東京大衆歌謡楽団」がナツメロの歌と演奏を披露し、生演奏を楽しんだ後、歌好きの仲間がみんなに自慢のノドを披露する恒例の「カラオケ」大会で大いに盛り上がった。

 越年・越冬闘争の折り返しとなる2015年1月1日。玉姫公園では午前11時から団結モチつきが開催された。「ヨイショ、ヨイショ」のかけ声で、4ウス分のモチをつきあげる。モチつきには慣れない手つきながらも、全員がキネをふるってモチを完成させた。夜は、2015年の最初となる総決起集会だ。集会の後は、江戸川区にある実在する鉄工所の労働争議をモデルに描かれた映画「ドレイ工場」が上映された。

 1月2日には、「なぎさ寮」に入寮している山谷の仲間との交流を深めるためにコーヒー、タバコ、果物、菓子などを持参して訪問・差し入れにでかけていく。1月2日の夜の企画では、「山谷(やま)―やられたら、やりかえせ」の上映を行なった。

 1月3日の午前中には、年末・年始を東京拘置所ですごす獄中の仲間への激励行動が取り組まれた。3日の夜の企画では「韓国労働運動」をテーマとして、「韓進(ハンジン)重工業」のクレーン籠城闘争を扱ったドキュメンタリーが上映された。

仕事始めの東京都に対して失業・野宿の責任追及を闘う労働者
仕事始めの東京都に対して失業・野宿の責任追及を闘う労働者

総括集会で東京都庁・厚生労働省に対する追及―団交の決意をうちかためる


 1月4日、午後7時からは山谷越年・越冬闘争をしめくくる総括集会がかちとられ、その後、娯楽映画を見ながら、明日の最後の闘いに備え就寝の準備に入った。

 1月5日、仕事始めとなるこの日の朝の炊き出しをいつもよりも早めにすませると、東京都庁・厚生労働省に対する追及―団交に参加する仲間たちは、組合旗、むしろ旗を先頭に玉姫公園を後にする。都庁に対する追及行動では、「1ヵ月、2万円~3万円の収入で生活ができるのか、もっと仕事を出せ」「センターの相談員が日雇い・野宿の仲間への仕事斡旋やパンの支給や宿泊援護を拒否している」「日曜・休日に娯楽室が閉鎖されるため雨の日や冬の日には多くの仲間が凍えている」「おれたちに『死ね』と言うのか」と鋭い追及の声が上がる。しかし福祉保健局生活部山谷対策担当課長・伊藤は、「(センターの対応)は適切だと判断している」「みなさんの要望は関係部署に伝える」などとまったく無責任・無内容な回答に終始した。対厚労省団交は、①「民間まかせ」ではなく、国が失業者に仕事を出せ②労働者の生活を破壊する「労働規制緩和」をするな③ボッタクリの飯場を取り締まれ④失業者、野宿労働者に「貧困ビジネス」の犠牲を押し付けるなという内容だ。しかし、厚労省の役人どもは「就職に備え、さまざまな職業訓練事業をやっている」「失対事業では労働者がその事業に『滞留』するのでもうやらない」「派遣法を変えれば、労働者はより就職しやすくなる」「飯場生活での経費は経営者が自由に決められる、労働条件として明示していれば違法とはならない」など悪徳業者の肩を持つ発言ばかりだ。

 10日間に及ぶ越年・越冬闘争では期間中約2000食の炊き出しを行なった。炊き出しを利用する仲間の約6割が野宿労働者で、その大半の現金収入源となっているのが東京都の「特別就労対策事業」の仕事だ。しかしこの仕事は1ヵ月間で3回程度しか回ってこない。そのため1ヵ月の収入が約2万円程度しかなく、これでは野宿生活から脱出することは不可能だ。

 山谷の労働者や野宿労働者全員が国家権力・金町一家による破壊策動を許さないために、睡眠時間を削り、深夜の防衛活動を含め24時間の防衛体制を担いぬき、連日の「人民パトロール」をやりぬいた。そして機動隊が包囲するなか、連日のワッショイデモに決起して、闘志あふれる闘いを貫徹した。