「辺野古の問題は沖縄の『世論』としては明らかに反対」
こんにちは。今、紹介されました天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会です。とりあえず今から、簡単な映像を見てもらって、資料などに即して話をしていきたいと思います。映像に行きますが、一応説明をしておきたいと思います。去年の11月に沖縄『県』知事選があり、推進派の仲井真知事が10万票の大差をつけて大敗北を喫している。辺野古の問題は、沖縄の「世論」としては明らかに反対ということで結論としては出た、そういう状況の中で、政府は沖縄に対してどのように襲いかかってきたのか、というあたりが映像に出ているので、それを見て下さい。
――(「辺野古のたたかい」上映)――
なかなか、辺野古の現場の方を見ておかないと、現場のことが分からないかな、と思いました。例えば海上保安庁とぶつかってる場面が映像で出てきたと思いますが、日・米両政府は、「臨時制限水域」という名前で、立ち入り禁止区域としているのです。海上保安庁は、「ここは『臨時制限水域』だから入るな」ということで設定し、「刑事特別法」という法律によって逮捕するとしているのです。そういうところで、カヌーが海上に入って仲間たちが抗議する、という映像です。映像だけでは、緊迫感がなかなか伝わらないと思いますが、そういう場面で、僕らは、体を張って闘いました。
「辺野古の現場の状況」。最後の映像で、「年明け1月から作業が再開される」というふうに出ていたと思いますけれど、実際に、1月15日から、海上で作業が行なわれています。作業というのは、海上にオイルフェンスを張ったりとか、フロートを浮かべたりとか、ということなんですけど、資料に「コンクリートブロックの投下」と書いてあります。これは、オイルフェンスとかフロートをそのまま海に浮かべておいたら、波があって流されてしまいますので、重石、アンカーを海に沈めるということなんですけど、沖縄防衛局が沈めたコンクリートというのは、最大40トンから50トンと言われる非常に巨大なコンクリートである。詳しい人から話しを聞いたら、コンクリートというのは1立方メートルあたり、1メートル×1メートル×1メートルで、大体2・3トンということだそうです。そうすると、45トンというと大体どのくらいになるかというと、2・7メートル×2・7メートル×2・7メートル。大体4畳半の部屋が一杯になる、そういう大きさの重石を海の中に沈めていった。
なぜそんなに大きいのを沈めるのか、ということですけど、昨年8月くらいにこういう作業をして、その時は150キロくらいのものを沈めていたと言われていますけれど、その後台風が来て、どうなったかというと、240個くらい沈めたアンカーうちの120個が台風で、海中のどこかに流され、一部はサンゴを傷つけたりした。これも隠していて、こちらが追及をしてやっと明らかになったことですが、いわば台風対策を真面目にやらなかったから、結果として、環境破壊になった。そうであれば、そっちの方を反省するのかと思いきや、そうではなくて、「アンカーが軽かったから、ダメだった」ということになって、非常に巨大なコンクリートブロックを海中に投下した。その結果どうなったかというと、海底のサンゴの上に乗っかって、サンゴ礁を破壊する。闘う仲間たちが、サンゴの上にコンクリートブロックが乗っかっている映像を写真で撮影して、それをマスコミ各社に流して、それをマスコミが新聞の一面にデカデカと載せて、大きな問題になりました。「県」の方も動かざるをえないということで、独自の調査を開始した。それについて国の方は、「仲井真県知事とはもう承認してもらった。だから今の翁長知事が、そんな独自調査を開始したことは大変不快である」と菅官房長官あたりが発言して、沖縄を怒らせている、という状況が繰り広げられています。
実際のところ、現場の「県」の独自調査に対しては、防衛省、沖縄防衛局が妨害行動を働いたりとか、そういうことを行なっています。このコンクリートブロック投下が大きな動きとしてあって、今、辺野古がどこに向かっているのかといえば、ボーリング調査の再開。3月13日にボーリング調査が再開された。ボーリング調査をする周辺にフロートとかを使って抗議行動を排除した上で、ボーリング調査が始まった。ボーリング調査は去年の8月に始まり、浅瀬のところでは既に12ヵ所終えました。今回行なわれているのは、大浦湾のもっと深い場所での、12ヵ所ということです。これに対しても、海上では激しく抵抗をして、ゲート前での陸上においても抗議行動を強めてやってきたというところです。
「工事を阻止するところまでは至っていないけれども、引き延ばすところまでは、何とかできている」
一つ確認しておいてほしいのは、本来、ボーリング調査、一番最初の計画で言うと、去年の
11月いっぱいで終わると言われていたのだが、それが抵抗運動によって、今年の3月末までということで、期限が延長になっている。今回、3月13日から始まりましたが、3月いっぱいで終るのは厳しいのではないか。それで、期限も延ばすというふうにいわれています。現場の必死の闘いで、工事を阻止するところまでは至っていないけれども、引き伸ばすところまでは、何とかできているというのが現状です。
このボーリング調査の次に待っているのは、仮設桟橋と言われているものです。仮設桟橋というのは、何なのかということですが、長さが、100メートルとか300メートルとかという説があるが、300メートル、幅が約25メートルの陸上から海に向けての岸壁というのか、そういうのを作るわけです。そこに大型トラックを乗り入れて資材を陸から海に搬出したりとか、作業船がそこに横付けするとかというものです。
これについて話が出てきたのは、去年の10月の末ぐらいからなんですけども、なんでそんなに遅くこの計画の話が出てきたのかというと、要するにこれまでの工程にそれが書かれていないわけなんです。だから、市民はそれを知ることができない。それともう一つ、この仮設桟橋の受注業者、大手の大成建設が受注をしているのですが、いわゆる入札手続きが極秘入札だった。去年の6月くらいに仮設桟橋とは書いてないんですけども、一般的な工事の入札が極秘に行なわれて、大成建設がそれをとる。新聞などで暴露され始めてそれが明らかになったのが、8月くらいなので、その間この仮設桟橋についてどういう動きがあるのかというのはほとんど市民は知ることができない。それくらいこの仮設桟橋というのは市民から隠しておきたい重要な施設なんだろうということです。実際にこの仮設桟橋を作るのに大型トラック5000台分といわれている土砂を海に入れていく。ネットに包んだ石を海の中に入れていくという作業が行なわれる。
話が飛びますが、新聞資料に「辺野古に陸自常駐」と書いてありますが、この新聞紙上に出ている写真があります。ここに載っている写真にネットに入れられた砕石がキャンプ・シュワブの基地の中に山積みにされている。これが何かというと、これが仮設桟橋を造るための、海に沈める土台になるものです。今まで私たちは何もわかっていなくて、ある日、TBSか何かの報道番組で上空から撮った映像が流れた。そこにチラッとこのシーンが出た。そしたら翌日には、やっぱり、あの映像が気になったという人が出てきて、ネットなどで情報を流して、何だ、何だという話になって、結果として、仮設桟橋の土砂が大量に基地の中に運び込まれていることがわかった。
この仮設桟橋については、国のほうは、事実上の埋め立て着工だと言っていますので、そのくらい力を入れてやってくるのではないかと思います。
実際、仮設桟橋の次は本体工事を今年中にやるといっています。可能であれば、夏ごろに着手したいと防衛大臣が言っている。夏といえば、六月ごろですかね。正確には言わないので、はっきりとはわかりませんが、本体工事が差し迫っているという非常に緊迫した状況です。 本体工事については、護岸の建設というものから入っていく。海の周りを囲って、海水を出して埋め立てていくという作業なので、一番最初の護岸建設から本体工事が始まるだろうと思います。
すでにこの護岸建設も受注業者が決定をしていて、準備は始まっているという段階です。このような段階にあります。
これに対して、海の闘いは、知り合いがたくさんいますので、話を聞いて、呼応しながらやっているんですけども、陸の闘いは、1月11日から、24時間体制で行こうというふうになりました。それまでは朝8時から、夕方4時までやったら、長くとどまっていても、7時くらいまでやったら、絶対引き上げて、また翌日に備えましょう、ということにしていたんですが、どうもその年明け以降、工事をやるんだと安倍政府がだいぶ踏み込んできたので、そっちがやるんだったら、こっちも対抗してやろうということで、24時間体制への移行が始まった。そんな状況です。
「現場指揮者の山城博治さんという人」
――(略)――
現場指揮者弾圧、2月22日。先ほどの映像で、愉快に踊っているおじさんがいましたけれども、あれが現場指揮者の山城博治さんという人で、米軍が考えたのか、誰が考えたのかわかんないんですが、2月22日に、あの山城さんを基地の中に引きづり込んで、身柄を拘束して、名護警察署に突き出すということが行なわれました。
この2月22日というのは、午後から、ゲート前での抗議集会を開くということで準備をしていました。その日、朝から集まった人達が、ゲート前で結構激しく抵抗運動をしていた。そういう中で指揮者の山城さんが全体にまあまあまあと一旦抑えようとちょうどゲート前で、基地に背を向けて、抑えている場面で、急に軍の警備員が山城さんを狙って、こっちも必死に抵抗して山城さん採られるなとやったはずなんですけども、それでも力づくで、持っていかれて、山城さんが、両足を持たれてずるずる引きずられて基地の中に持っていかれる。そして、フェンス沿いに座らせられて、米兵の手によって手錠をかけられて、基地に送られる、というようなことになりました。
この弾圧はなんだったのか、色々憶測もあるのですが、僕らが今考えているのは、日米両政府の上の段階では、ある程度、話はついていて、現場の警察官は混乱したようですけども、そういうふうに組込まれた極めて政治的な弾圧だったのではないかと思っています。
これに対して、僕たちとしてはその日の抗議集会を大成功させて、その足で、身柄が拘束されている名護警察署に行って、500人くらいで名護警察署を包囲して「山城返せ」、「すぐに釈放しろ」ということで要求をした結果、翌日の夕方には釈放されました。
――(略)――
その山城さんについて話したかったのは、やっぱ、親が戦争体験者で、親から「オレの話を聞け」というぐらいの形で、戦争体験の話しを聞いてきた、ということを語っていました。あの人も60歳を過ぎました。辺野古の闘争のなかでそれだけ一生懸命やるのはなぜかなあ、と思うんですけど、印象に残っているのは、ある日、ゲート前で非常に激しい攻防があって、ゲートにすえつけられている鉄柵の上に上って、首にベルトを巻いて、鉄柵にベルトをくくりつける。機動隊に「来たら首がしまるからな」といってタンカを切る。警察も「やめろ、そのベルトはずせ」と言ってくるんですけど、山城さんは「辺野古を止めるのに、人生かけてます」といって権力をたじろかせるなど、結構、間近に見せられると、自分としても、辺野古の闘いをやっていきたいな、というふうに思わされる場面がありました。そういう、現場でやってると、こちらが影響を受けるような場面があるのが辺野古の闘い、だと思います。
話しを戻しますが、「テント撤去策動」ですけど、先ほどの映像にあったテントは、今あの場所にあるのではなくて、もう少し離れた場所にテントが立っています。そのテントに対して24時間体制の拠点ですから、国としては何としても撤去させたい、ということで、2月半ばから後半に沖縄防衛局がやってきて、「米軍から撤去要請が来ている。だから、直ちに撤去しなさい」という。最終的には、3月11日に「最終警告」がされています。そのうち代執行という形で強制的にテントを撤去するという攻撃も近々来るのではないかと思っていますが、僕らとしては、どういう形になっても、二四時間体制を崩すことなく闘えば、当然そんなことでは潰されない。テント撤去策動を何とか粉砕したいなと思っています。
――(略)――
「『埋立承認』の法的瑕疵を検証する『第三者委員会』について」。翁長知事が、前の知事・仲井真が「埋立していいですよ」と言ったことを取り消すことができるというのは、権利としてはあります。そのための手続きが「第三者委員会」というものなんですけど、僕ら運動の側としては「すぐさま取り消してくれ」「撤回してくれ」ということで言っているのですが、非常に翁長知事は悠長で、「第三者委員会」を立ち上げて、出てきたのが、「6月中には意見を取りまとめて、遅くとも7月には県に報告します」。どういう時期に言われたのかというと、国側が「四月にも着工するぞ」と僕らに突きつけていた段階で、「第三者委員会」でそういうことが話し合われている。だから当然、現場でどういう声があがったかというと、「埋め立て始まっちゃうよ」「遅すぎる」というのが実感です。そういうことで、翁長知事が埋め立て承認を取り消すのかどうかが一つの政治的な注目点ではあるのかもしれないけれども、実際のところどの程度力になるのか。いろんな準備段階で事が進んでから裁判闘争が始まって、事が終わったころに裁判で結果が判明する、「終わってました」という結論が出ることが多いですけど、そういう結果にしたくはないし、この辺野古の基地を止めるために、知事の動きも、頭には入っていますが、まったくアテにはしない、という中で現場攻防が闘われている、そういう状況です。
「『歴史継承の闘い』としての沖縄での独自の闘い」
――(略)――
「辺野古の闘いの背景」。やっぱり掘り下げて考えれば、結局は一つの戦争体験にいきつくのかと思っています。沖縄とヤマトとの違いはそこだと思うんですね。地上戦、「戦後70年」と言われますが、この70年のうちにも、沖縄とヤマトでは、やはり違うんじゃないか、このへんが辺野古の問題の背景にあると思っています。だから、辺野古で闘うことを通して、僕自身も基地建設を止めたい、ということもありますが、基地は当然戦争と結びついていますね。だから、基地に反対することは即戦争に反対だし、これから来るであろう戦争を止めることと一つのものだ、ということで当たり前にやっているわけですけど、そういう市民権がえられていたのは、もしかすると過去に入りつつあるという状況がある。基地反対・戦争反対が直結しない世界になりつつある状況にあると思います。そういうなかで、僕らは「そうじゃない、やっぱり、辺野古の闘いを通して、戦争体験、二度と戦争をさせてはいけないという思いを引き継いでいこうじゃないか。僕らはまた次の世代、戦争体験なぞしていない、そういう人たちに実際の闘いを通して引き継いでいこう、そういう闘いじゃないかと思っています。
「三世代」。実際に、抗議をしていた島袋きみこさんという方が、トラックの前に立ちはだかって、機動隊にはがされて、転倒して、救急車に運ばれた、というのがありましたが、あの人が85歳。だから80代の人たちが座り込みに参加しています。で、次にいわゆる「復帰闘争」。あの闘いをやった当時の労働組合の青年とか学生運動とかをやった世代。山城博治さんの世代ですね。60代。その次の世代は、だいぶ下に下がって、1990年代の20代、30代がこの闘いに加わっている。だから、まず70代、80代。次に60代。そして20代、30代。その三つの世代でこの闘いを取り組んできている。――(略)―― よくスローガンとして出てくるのは、「次の世代に基地のない沖縄を」。子どもたちのために闘うんだ、と言われる方も多いけど、甘っちょろいスローガンに聞こえるかもしれないけれど、今の辺野古の闘いのなかでは、大事なスローガンになっているような、感じがします。やっぱり次の世代の社会が、より苦しい社会になっていくのが、見えてますね。安倍政府の掲げているものをみれば。だから、そういうのを何とか覆していく抵抗の闘いが辺野古にあるということです。
「歴史継承の闘い」としての、沖縄での独自の闘いも取り組まれている。教科書問題として、10年に1回、沖縄にはそういう攻撃がかけられてきている。一番最近では、竹富町の教科書問題がありまして、あまり詳しく話す時間はないんですけど、「歴史教科書をつくる会」って、聞いたことあるかと思いますが、そのグループが作った「育鵬社」という教科書会社があるんですけど、育鵬社の教科書を中学生に配る、という画策をした。それに対して、教育委員をはじめ、親も、あれやこれや抵抗をして、結局は覆した、何とか攻撃を打ち破った。そういう取り組みが2011年から2013年にかけて行なわれました。竹富島というのは小学校と中学校が一つになった小中学校があるだけで、中学生が40人かそのくらいだと思いましたが、非常に小さい島でそういう国の攻撃を打ち破ったというのは、それはすごい闘いだと思います。それはなんで拡がったのかといえば、さっき言ったように、沖縄戦の体験というのがあって、何とかこう引き継いでいこうという、脈々と継承されているものがあるんじゃないか、と思っています。
「闘いの出発点」。1995年、2004年、2012年。1995年というのは、ちょうど辺野古の問題が持ちあがった時期です。非常に大きな10・23集会もあった。この時は、「基地も軍隊もいらない、沖縄を返してください」。そういう主張の背景には、「戦後50年」が叫ばれていて、歴史の清算という動きがある。沖縄では米兵が小学生をレイプする事件が起きた。それに対して「県民総決起大会」が開かれて「基地も軍隊もいらない、沖縄を返せ」という運動が始まったのが1995年です。ですから辺野古の基地建設問題というのは、「基地も軍隊もいらない」というのがそもそもの要求なんです。その第一歩としての普天間基地の返還があるし、新しい基地建設も阻止なんです。2004年は、海上でカヌー隊が実力攻防を、基地建設阻止の実力攻防を、展開し始めた年です。2012年には、普天間基地にオスプレイ、ヘリコプターをもっと発展させたようなものですが、オスプレイの配備に反対する実力闘争がありました。この実力闘争は、まず基地機能をマヒさせちゃおう、基地機能に打撃を加えてやろうということを争点においた闘いでした。実際に、本の題にもなっているんですけど、「普天間基地は4日間動かなかった」。本当に4日間くらい台風の力も借りながら封鎖して、闘われた。この2012年のオスプレイ配備阻止闘争の延長線上に今の辺野古の闘いがあるというのは間違いないです。なので、海での闘い、陸での闘いの目標は、基地機能に打撃を加えることになっていくんじゃないか。具体的にどのような闘いになっていくのか。今現在でもそういう打撃が加えられていて、米兵に出て行けと言ってるんですけど、さらに大きな闘いもあるな、と思います。
「『実力闘争を核心にすえた闘い』、それが必要になってくる」
「闘いの勝利に向けて」。
一つ目。「実力闘争を核心にすえた闘い」、それが必要になってくる、そういうふうに思います。現に、今、沖縄ではやっているわけですけど、結局、労働者の闘いは実力闘争がないと、何の意見も通らないというか、実際何の実力闘争もなかったから、どんどんどんどん労働者の権利が剥奪されてきたと、そういうことが言えると思います。実力闘争がなければ、どんな政治交渉も成立しないし、今これだけ大きく闘っても安倍政府は僕らの足元を見ようとしている。腹のたつことも続いてきたと思います。だから、これだけやってもまだ足りないのなら、これから先もやっていくしかないと思わざるを得ない。沖縄の問題が、安保の要になるわけです。いずれにしても、この実力闘争をすることによって、沖縄で基地が安定的に運用できなくなれば、日米安保はそこで崩壊する。そういう問題として安倍政府としては、基地建設の問題、安保に対して歯向かっている沖縄の人たちの闘いを、何とか丸ごと叩き潰してしまいたいという、そういうところに来ています。だから引くに引けないし、実力闘争を核心にした闘いをさらに追及していく以外にはないわけです。
次に、どういう闘いが必要になってくるかというと、やはり「現場への結集」と「現場へとつながる全国の闘い」。ぜひ、沖縄に来られる方は来てほしいというふうに思います。楽しいですよ。お金と時間の問題もありますけれど、やっぱり辺野古の闘いを、あの地域だけにとどめておくのはもったいない。2015年のこの段階であれだけの闘いをあれだけ広範に、いわば「沖縄ぐるみ」であの運動を支えているわけですけど、やっぱりそういう闘いをもう一回全国で起していくためにも、今現場にぜひ足を運んでほしいというのが僕らの願いです。現場とつながる闘いが今、ハッキリ行なわれているというのも、もちろんあります。対防衛省行動とかね、これは大体月一でやりますね、あとは大成建設への抗議行動というのも全国で行なわれています。そのほかにも、ネットでカンパ活動をよびかけたら、次々にやろうよ、という声が集まっている。あれよあれよという間にたくさんのカンパが集まって、カヌーが次々に辺野古にに寄せられるとか、軽自動車も2台カンパで寄せられるという、ありがたい話しです。後は、ネット中継する若者も増えていますね。若者たちは、ネットで動画配信をして、今やったような動画が毎日見れるんですね。そういうのを見て、すごいな、ということで駆けつける人たちもいます。いろいろな技術を駆使しているんですね。後は、ツイッターとか、フェイスブックとかやっている。書き込んでネットを通して、闘いへの結集を呼びかけるとか、そういうなかに、各地の集会の取り組みを紹介する者も増えている。もう、若い人たちの中には、ビラを配らなくても集会の呼びかけができてしまう状況が、場面によってはあるらしいということも聞いています。そのくらい、いろんなテクニックを駆使しながら闘いを広めています。現場に行きたい人たちが、お互い意気投合して、何がやれるか、という形でお互い結びついたりして、労働運動を作っていくということもしている。そういう段階です。
最後、「青年労働者に届く呼びかけを」。やはり、若い労働者に結集してほしいというのが思いです。それが一番大事になってくるんですが、今の若者は、個人主義で、一人一人がバラバラです。僕らがイメージしている以上にバラバラです。今の高校は、修学旅行も成り立たない。みんなでまとまったような行動はしたくないから、同じ自分たちに近いグループだけでやりたいから、修学旅行にも行かないとか、そういうレベルになっています。そういう個人主義の若い人たちに働きかけていくのには、いろいろ駆使しないと、なかなか僕らの隊列に加わってくれないな、と思います。個人主義になっている若い人たちは、居場所を探している。そういう居場所を彼らに作ってあげる。だから、辺野古あたりに来た若い人たちが、最初はじっとしていて動かないんだけど、一週間も経つと積極的にハンドマイクを持ったりとか、積極的に自分たちの役割を担っていく若い人たちの姿を見ていると、やっぱり、彼らの居場所というか、役割を準備していくというのも、僕ら運動をする側の役割かなと思います。後は、目線が、視野が狭いので、他の人からいろいろ学びましょうというところです。山城さんをはじめとした人たちから学んでいく姿勢を、若い人たちにも示すことは大切だよと、伝えていきたいなと。他人を通して自分が見えてきますから、そういうなかで何とか青年たちにも起ち上ってほしいなというのが、僕の願いでもあるし、みんなの願いだと思います。
質疑応答
○現場での取り組みについて、具体的に教えてほしいです。
自分は今、朝の六時半くらいからゲート前で抗議行動をして、約二時間くらい座っていますね。抗議行動の目的は、七時くらいに海上保安庁や沖縄防衛局がくるので、その車をみつけたら、車の前に立ちはだかって抗議行動をする。機動隊に排除される。そういう朝です。午前中やってると、一一時くらいになると「島ぐるみ会議」という人たちがバスで五〇人、一〇〇人とゲート前に来て、ゲート前での集会を開く。午後以降も集会が続く。ただ、集会している最中も、沖縄防衛局が出てきたりとか、ちょっと、異常な動きがあれば適時対応して、ゲート前に結集していく。常にゲート前に集中をして、海で海上保安庁がひどいことをしていればそれに対応をして、海の見えるところまで移動して抗議行動をしたり。そういうことをやって大体午後四時くらいまで。それ以降、とりたてて現場でやることはないんですけど、七時くらいになるとテントに集まってきて、いろんな議論をしながら時間を過ごして、一〇時くらいから、今度は不寝番体制を決めましょうということで一二時から三時、六時と決めて、資材搬入があるかもしれない、ということで不寝番体制をとって監視している。だから、ずっと現場にいる人は大変です。山城博治さんが倒れてしまわないか、心配しています。
○翁長知事は埋め立て承認の「取り消し」、または「撤回」をやるんでしょうか?
「取り消し」しなければ、政治的には終わりですよね。辺野古反対、辺野古は何としても止めますということで知事になったにもかかわらず、仲井真知事が行なった埋め立てのゴーサインの「取り消し」さえしなければ、政治的にはそれで終わりですよね。実際に取り消すかどうかということを言うと、五分五分かな、という感じがします。「取り消し」と「撤回」の簡単な違いだけを言っておくと、「取り消し」というのは、「違法だから取り消します」、「撤回」というのは「法的には正しいけれども、知事権限で撤回します」。「すぐ撤回しろ」と声をあげたんですけど、「撤回」できない理由というのは、弁護士さんが言うには、今、「撤回」してしまうと、「法的に正しかった」ということを認めてしまうことになるので、「取り消し」の前に「撤回」をしてしまうのは難しいのではないかということだそうです。いずれにしても、僕は五分五分だと思っています。ただ、大事なことは、みんな、それに期待していません。行政的な権限で止まるとかいうふうにはみんな考えてないです。僕が現場でいろいろな先輩たちの話しを聞いても、「止まらないよ」と言ってます。とにかく実力で現場を止めるというのが第一になっています。