8・13~15山谷夏祭りの大成功をかちとる

  多くの労働者でにぎわう山谷夏祭りの会場・玉姫公園
  多くの労働者でにぎわう山谷夏祭りの会場・玉姫公園

8.13~15山谷夏祭りの大成功をかちとる

 

         東京・山谷日雇労働組合


連続的な国会闘争の渦中で山谷夏祭りを実現


 8月13日から15日までの3日間、山谷・玉姫公園を会場にして、東京・山谷日雇労働組合が呼びかけた「2015年山谷夏祭り実行委員会」によって山谷夏祭りが開催された。山谷夏祭りでの炊き出しの延べ数は1000食近くにのぼり、「安保法制関連法」案=「戦争法」案をはじめとする安倍の「戦争国家」作りを狙う攻撃と対決する山谷労働者の団結は、山谷夏祭りの成功によって一層強まり、広がりをかちとった。

 今年の山谷夏祭りは、例年の夏祭りとは違い、安倍の「戦争国家」作りにむけた段階を画した攻撃と全面対決する闘いのなかでかちとられた。東京・山日労は、6月14日の「安保粉砕・政府打倒全国統一行動」への多くの山谷労働者の決起をかちとり、ひきつづき6月19日の「労働者派遣法」改悪案の衆院採決阻止の国会闘争、7月15・16日の「戦争法」案衆院採決阻止の国会闘争に決起した。闘いはこれだけではない。「密告」制度や警察の野放図な「盗聴」に道を開く「刑事訴訟法」等改悪案粉砕の連続的な国会闘争、6月18日のフィリピントヨタ争議の支援行動、7月5日の「心身喪失者等医療観察法」施行10ヵ年糾弾闘争、7月19日の宇都宮病院糾弾・解体闘争、7月30日の大間原発建設阻止現地闘争と、安倍の攻撃と対決する闘争の連続であった。

 闘いの連続のなか、7月10日に開催された「2015年山谷夏祭り実行委員会」で、東京・山日労が「〝戦争屋〟・安倍の攻撃によって『夏祭りと闘争』を同時並行でやらねばならないが、『資本家と金持ち連中に打ち勝つ労働者の団結』を作るためには、逃げることはできない。闘いのなかから山谷夏祭りの成功をかちとろう」と呼びかけを行ない、参加した全員からの「異議なし」の声とともに「2015年山谷夏祭り」の準備がスタートした。


「仕事よこせ」の対東京都交渉(7月27日)


 山谷夏祭りの基調は、「反戦・反失業」だ。山谷労働者は、建設資本によって使い捨てにされ、行政によって排除と野垂れ死にを強制されている。この攻撃を打ち砕く山谷労働者の団結の強化と拡大を目的に山谷夏祭りは行なわれる。

 基調で意思統一した実行委員会の労働者は、7月27日に、東京都の山谷対策係、産業労働局との交渉を闘った。交渉の主要な議題は、多くの山谷労働者が生き延びていくために重要なものとなっている東京都の「特別就労事業」=「輪番」の拡大、東京都の外郭団体である「城北労働・福祉センター(山谷センター)」の「利用者カード」削減をめぐってだ。

 第一の議題、「輪番」の仕事の数を増やせという要求に対して、担当する産業労働局は、「今年度も予算額で12億円、人工数で5万1000人分を確保した。予算額は経費分が1億円近く増えている」なぞと自慢げに回答した。これに対して、労働者からは、「その予算では1週間に1『輪番』の仕事が回り、7500円足らずが収入になるだけだ。1ヵ月に4回回ったとして3万円足らず。それで生きて行けると考えているのか」という当然の追及が開始される。さらに、追及はつづく。「『特別就労事業』は、1972年に民間の求人数の減少を補うことを目的に始まった事業のはずだ。今の求人数の減少は、事業開始時期とは比べものにならないほどになっている。そのことは、産業労働局も知っているはずだ。それにもかかわらず、『例年通り』の予算と人工数の確保を報告して平然としているのはどういうことだ」。これに対して、産業労働局は、「東京都の予算が限られているので、この予算を確保することが精一杯です」と言い訳に終始する。

 つづいて、第二の議題をめぐって、山谷センターの窓口で何回も「利用者カード」の発行を拒否されている労働者が先頭に立って山谷対策係の追及を行なった。山谷で暮らす労働者にとって玉姫職安の「輪番」紹介と、山谷センターの「利用者カード」による仕事紹介、食パンや牛乳の給食や「臨時宿泊」が生きていくうえでの大きな位置を占めている。玉姫職安の「輪番」紹介を受けるための通称「ダンボール手帳」は、「働く意志」さえ示せば住所などの制限もなく発行されるが、山谷センターの「利用者カード」は、センター側が発行対象を「山谷地域の日雇い労働者」という基準を恣意的に運用し、その結果、新たに山谷にたどり着いた労働者は、ほとんど「利用者カード」の発行を受けられない状態になっているのだ。追及の先頭に立った労働者は、「センターの窓口の職員から『ハローワークに行け』、『台東区役所の保護課に行け』と言われた。何故、自分には『利用者カード』が発行されないのか、理由が今でもわからないままだ」と自分が経験したセンター窓口でのやりとりをセンターを所管する山谷対策係に突きつけた。これに対して、山谷対策係は、「センターは独立した団体なので、自分たちが『ああしろ、こうしろ』とは言えない。労働者からの要望は伝える」という無責任な回答を繰り返した。これに対しては「東京都が予算を出し、都庁から職員を出向させていながら、『何もできない』という回答はおかしい。結局、労働者の声を無視した山谷対策をやるということじゃないか」という怒りの声が飛ぶ。2時間近くの追及を闘った労働者たちは、「山谷対策係が『センターに口出しできない』と言うのなら、次はセンターとの交渉をやるしかない。『利用者カード』の発行数がたった361枚しかないということは、新規の発行をやらずに『利用者カード』そのものを廃止しようと東京都が考えているということだ。山谷対策の削減―打ち切りも考えているのだろう。これを許さずセンター交渉を闘い、カード発行をかちとろう」と確認した。

仕事で鍛えた力を発揮する綱引き競争の参加者
仕事で鍛えた力を発揮する綱引き競争の参加者

8月13日、対金町朝行動から夏祭り初日に突入


 8月13日、山谷夏祭りの初日だ。通常は金曜日の早朝に行なっている天皇主義右翼ファシスト・金町一家による佐藤さん・山岡さん虐殺への報復と金町一家解体にむけた朝行動を13日の木曜日に変更し、山谷夏祭りは対金町朝行動から始まった。

 朝5時半、山谷センター前に「実行委員会」に結集する労働者が集まり、「ワッショイ」の掛け声とともに「山谷通り」に繰り出し、山谷夏祭りへの結集を呼びかける。部隊は、さらに朝市でにぎわう玉姫公園、「輪番」紹介を待つ労働者でごった返す玉姫職安に転進していく。沿道からは「楽しみにしてるよ」「仕事が終わったらいくよ」という声援が部隊に送られる。朝行動を終えた部隊は山谷センター前に戻り、今度は会場である玉姫公園にむけて出発する。「ワッショイ」の掛け声とともに「山谷通り」を進む労働者の部隊に警視庁公安デカや浅草警察マンモス交番のデカたちは一切手出しできない。

 午前8時、玉姫公園のゲート前で夏祭りの準備作業を応援するために集まっていた労働者と行進してきた部隊が合流し、ゲートが開かれた。山谷夏祭り本番にむけた作業の開始だ。間口6メートル、奥行き4メートルのステージを足場材の単管で組む作業、本部や炊事班のテント設置、炊き出し道具の洗浄、トラックによる食材の搬入が一斉に始められる。それぞれの任務につく労働者は「自前の夏祭り」「金が無くても楽しめる夏祭り」「安倍の攻撃を粉砕する山谷労働者の団結を作る夏祭り」の成功にむけて全力を振り絞る。

 予定より30分遅れた午後5時半、山谷夏祭りは炊き出しから始まった。公園入口から外周に沿って300人近くが列を作って待っている。35度を超す連日の猛暑の中で工事現場の仕事をやってきて日焼けした労働者や、飯場で宿舎代や前借りのために金を残せないで盆休みに入り、山谷に帰ってきた労働者も多い。「輪番」だけが唯一の収入源のため、ドヤに泊まることも、ネットカフェを利用することもできず、野宿しながら炊き出しに並ぶ労働者も多い。そんな金の無い労働者も山谷の「なかま」だ。「実行委員会」の労働者は、「金の無い労働者も楽しめる夏祭り」にするために、炊き出し、無料のカキ氷、無料のウーロンハイを用意し、企画やゲームで楽しめるようにしようと必死で街頭カンパ集めに汗を流した。そして、夏祭り会場の玉姫公園では、ともにアブレ―野垂れ死に攻撃に直面する「実行委員会」の労働者と圧倒的な日雇い・野宿労働者、そして「非正規雇用」で使い捨てに遭ってきた労働者が合流した。


夏祭りの成功を寄せ場労働運動の前進へ


 炊き出しが全体に行き渡り、参加者がゴザの上でくつろぎ始める時間になり、山谷夏祭りの開会が宣言される。開会の挨拶に東京・山日労の労働者が起ち、 つづいて、同じ時期に夏祭りを開催している全国の寄せ場からの連帯メッセージが紹介される。全国労働組合運動交流会(全労交)の顧問であり元国鉄労働者の佐久間忠夫さんも連帯メッセージを寄せられた。

 開会の集会が終わると第1日目の企画が始まる。恒例のビール早飲みと綱引き競争だ。カラオケ大会では日頃のノド自慢を披露する労働者が続出した。映画「山谷 やられたらやりかえせ」の上映は、機材が不調のために中止となったが、「実行委員会」が用意した屋台を利用して歓談する労働者が後を絶たない。プログラム最後の盆踊りには「山谷の玉三郎」が登場し、それに合わせて盆踊りの輪ができる。時間ギリギリまで盆踊りが行なわれ、玉姫公園は交流・歓談の場となった。

 2日目も同様に炊き出しから始まり、企画としてスイカ割りと綱引き競争、カラオケ大会が行なわれた。カラオケ大会の途中で豪雨に襲われたため、「実行委員会」の労働者が迷演を繰り広げる予定だった寸劇「人生山あり、谷あり」は中止を余儀なくされた。

 山谷夏祭りの最終日の15日は、出演が恒例となった「東京大衆歌謡楽団」のステージ目当ての参加者が多数来場し、玉姫公園は参加者であふれ、屋台班はキリキリ舞いの忙しさとなった。

 3日間の山谷夏祭りは、アブレ―野垂れ死に攻撃に直面する山谷労働者が同じ山谷の「なかま」を思い奮闘した。また、同じように使い捨て攻撃を受ける「非正規雇用」労働者も迎え入れ、山谷の闘いに共感する多くの労働者からのカンパや物資の提供を受け、労働者を犠牲にする資本や安倍政府への怒りで一体となった。まさに、「労働者の祭」として大成功をかちとった。山谷夏祭りをきっかけにして東京・山日労の活動を担う労働者も増えた。東京・山日労はこの成果を「反戦・反失業」を基調とした寄せ場労働運動の前進に結びつけるために決意を新たにしている。