12・4東京「君が代」裁判三次訴訟控訴審判決公判闘争
12月4日、東京高裁民事第21部で東京「君が代」裁判(三次訴訟)の判決言い渡しが行なわれた。
東京「君が代」裁判とは、都立学校での卒・入学式、周年行事での「日の丸」「君が代」を強制する内容の2003年「10・23通達」に抗議・抵抗して、不起立・不伴奏を貫いた教育労働者が原告となり、東京都教育委員会に対して処分の取り消しと処分発令によって被った精神的損害への賠償を求めて提訴した裁判だ。
2007年2月7日に172人が提訴した一次訴訟は、2009年3月26日に東京地裁で「全面棄却」判決(中西判決)、2010年3月10日に東京高裁で全員の処分取消を命じる逆転勝訴判決(大橋判決)、2012年12月12日に最高裁で「①国歌起立斉唱の職務命令は憲法19条違反ではない。②不起立等の行為をした者に対する戒告処分は違法とは言い難い。③戒告1回の処分暦があることのみを理由に減給処分を選択した都教委の判断は、裁量権逸脱濫用による違法」という判決を下している。
2007年9月21日に67人が提訴した二次訴訟は、2011年7月25日に東京地裁が「全面棄却」判決、2012年10月31日に東京高裁が「減給以上のすべての処分を裁量権逸脱濫用による違法」として取り消し、戒告処分はすべて是認。2013年9月6日に最高裁が高裁判決を維持し、22件の減給、停職処分を取り消す判決を下している。
今回の三次訴訟は、2007年~2009年に処分を受けた50人が原告となって2010年3月2日に提訴。今年1月16日に東京地裁民事第11部で「原告26人の減給・停職処分について、裁量権逸脱濫用による違法を認定して取り消し、戒告処分は適法、国家賠償請求は全件を棄却」とするものであった。この地裁判決後、都教委は21人の減給取り消しを受け入れ、残り5人分の停職・減給処分取消判決について都教委側が控訴、教育労働者側は地裁判決で棄却された25人分の戒告処分取消し請求と全原告の国賠請求について控訴していた。
判決は、都教委が請求した5人分の停職・減給処分は認めず棄却したものの、他方で戒告処分は「裁量権の逸脱濫用には当たらない」と、教育労働者の請求を棄却し、国家賠償請求も「不起立行為が軽微な非違行為とは言えず、本件処分時点で減給以上の処分を選択することが裁量権の範囲を超えるものとの見解が一般的であったとは言えない」と、棄却する判決であった。
この日、原告団は「日の丸」「君が代」強制反対と書かれた横断幕を先頭に弁護士会館から地裁正門前まで力強くデモ行進。地裁前では支援者が激励の拍手で迎え、その後、傍聴の闘いへと移った。公判には原告、支援者を含め96人が傍聴席を埋め尽くす。午後2時、裁判長・中西は判決の主文のみを読み上げただけで、そそくさと法廷から逃げ去った。
原告団・傍聴者らは地裁正門前に再度結集して、「戒告処分は妥当」「国家賠償請求は棄却」と断じた高裁判決に対する怒りをこめて抗議の報告集会をもつ。「『日の丸・君が代』不当処分撤回を求める被処分者の会」(被処分者の会)の近藤事務局長は、「判決は、東京地裁判決を踏襲して、我々と都教委双方の控訴を棄却するものでした。都教委が控訴した5人は、生徒に『内心の自由があること』を説明するなど、都教委から見て『極悪人』。しかし、都教委の見方は間違っている。都教委の控訴は不当だということがハッキリした。都教委はまた敗訴したということです。私たちは最高裁に上告して闘う決意です。都教委の責任を徹底的に追及しなければならない」と、都教委追及の決意を明らかにした。弁護団の澤藤弁護士は、「中西裁判長は、『俺はリベラルな人だ』なぞと言っていたが、今日の判決は憲法や当事者やあるべき教育の理念を考えたものではない。高裁長官のイスを狙っているのか、とにかく上を向いて書いた判決でしかなかったと思う」と批判した。締めくくりに全員で東京高裁に向け、「『日の丸・君が代』強制反対」「裁判所は原告の声を聞け」「戒告処分を取り消せ」「損害賠償を認めろ」と怒りのシュプレヒコールを上げ、高裁前での抗議行動を終えていった。
〈東京都地域連合労働組合〉