4・17「ノーモアJR尼崎事故、いのちと安全を守る集会」とデモ
2005年4月25日、107人の命を奪い562人の負傷者を出した「JR尼崎脱線事故」が発生し、今年で11ヵ年を迎えた。
4月17日、小山敏夫氏、桐生隆文氏、小西純一郎氏、丹波道晴氏、佐野修吉氏、有田修氏、平田尚氏、藤原浩二氏、三塩和敏氏ほかが呼びかけ人となった「ノーモア尼崎事故、いのちと安全を守る集会実行委員会」主催で、尼崎での集会と事故現場への追悼デモ・献花行動が取り組まれた。
午後2時から、JR尼崎駅のすぐ近くにある小田公民館ホールで約80人の闘う労働者の結集で集会が開始される。
有田修氏(国労近畿地方本部)が開会のあいさつを行ない、続いて、平田尚氏(国労大阪地区本部)が基調提案を行なう。平田氏は、「脱線転覆事故は、今なお多くの遺族・被害者の方々に心の傷を負わせている」「起訴された歴代三社長の判決は、神戸地裁・大阪高裁共に『事故の予見可能性が無かった』とし無罪を言い渡した」「JR裁判の結果に納得がいかない遺族の方々は、今年四月『組織罰を実現する会』を発足させると発表している」「2013年に歴代社長の裁判が幕引きされた後、JR西日本は、『中期経営計画』を掲げた。現場においてそれは、『儲ける』スローガンの復活、運転士の『日勤教育』など労務管理の強化、保線・電気職場の見張りや点検業務の省略化・外注化など事故前に逆戻りするものであった。とりわけ、駅職場では窓口閉鎖・無人化・営業時間の短縮などや新型の駅券売機やインターネット商品の拡大により購入の困難な交通弱者の切り捨てを徹底している」「この11年間の集会の中でJR現場に働く国労組合員からは、『効率化という名の合理化で社員も国鉄時代の半分以下。40歳代が空洞のいびつな年齢構成で技術継承も深刻。重要な業務はグループ会社などに外注化。労務管理が復活し、事故や異常時を無視した要員削減で安全の切り捨てが際限なく行なわれている』と繰り返し報告されてきた」「事故の教訓を決して忘れず、首切り・民営化・規制緩和に対する多くの労働者の闘いに強く連帯し、共に闘いに起ち上がる決意を持ちあう集会としていきたい」。
その後、 『JRにおける関連労働者の実態と国労拡大運動』と題して青柳義則氏(元・国労東日本本部執行委員)が記念講演を行ない、各団体・労働者からの報告として、(1)〈トラック労働者の実態〉(大阪ユニオンネットワーク)、(2)〈JAL不当解雇撤回争議団からの訴え〉(JAL争議団)、(3)〈JR西日本の非正規労働者の実態〉(国労近畿地方本部)、(4)〈バス部門の規制緩和と労働実態〉(全港湾神戸支部)、(5)〈ついに始まったJR北海道崩壊~加速する赤字ローカル線問題〉(安全問題研究会)の発言が行なわれた。
尼崎事故被害者遺族・藤崎光子氏は、「脱線転覆事故は、今なお遺族・被害者に心の傷を負わせている」「井出元社長以下、ウソの証言ばかり。遺族が参加して尋問ができたことは評価できるが、結果は悔しさばかりである」「人を殺せば罪に問われるが、多くの人が亡くなっても何も罪を問うことができない」「『組織罰を実現する会』をつくりJR西日本の責任を追及する」「事故の真実を伝えるのは、現場である。しかし、今年の一月から事故現場の工事を始めている。私達は、事故現場破壊を許さない」。集会の最後に、主催者からの力強いまとめの発言で集会は締めくくられた。
午後4時50分、事故現場への追悼デモが開始される。デモ後、事故当時の傷跡がまだ部分的に生々しく残る事故現場の横で、デモ参加者による献花行動が行なわれた。参加者は、「二度と事故を起こさせない。生命と安全を守るために闘っていく」という決意をかため、この日の行動を終えた。
〈反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会〉