全国寄せ場で盛大に夏祭り(大阪・釜ヶ崎)

「センター縮小・移転」攻撃を許さず闘うことを決意した集会
「センター縮小・移転」攻撃を許さず闘うことを決意した集会

全国寄せ場で盛大に夏祭り

 

8・13 「夏祭り上映集会」を開催 

 

反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会

 

 今年も連日の猛暑となった。仕事に行った釜ヶ崎の日雇い労働者は、炎天下の中、熱中症と隣りあわせで体を削って働いてきた。そうした中、「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」は、8月13日、全国の寄せ場で闘われる夏祭りと連帯し、「夏祭り上映集会」を開催した。

 昨年は、一年を通じて仕事がなく、すさまじいアブレ(失業)状況であった。今年は、それ以上の仕事のなさである。7月には、幾らか現金(当日)求人が出ていた。連日の猛暑で飯場に入っている労働者が毎日仕事に行けないためということもあるのだろう。

 8月13日当日、センターには契約(飯場)求人の車が多少停まっている。お盆休みに飯場にいても仕事がないのに飯代(宿泊費・メシ代など)が一日に約3000円も差っ引かれる。そのため誰も飯場に行こうとしない。センターには仕事を求めてくる労働者は、少ない。しかし、真夜中にダンボールやカン集めをしている労働者や多くのシェルター利用者が休憩するために段ボールを持って来ている。

 「夏祭り上映集会」は、午後0時30分から西成市民館で開催された。はじめに、司会の仲間が開会宣言を行なう。「アブレの押しつけを許さんぞ!」「野たれ死にを許さんぞ!」「仲間の命を守りぬくぞ!」「生きてやりかえすぞ!」「戦争に反対し闘うぞ!」「『仕事よこせ』を闘うぞ!」「『センター縮小・移転』攻撃を粉砕するぞ!」「釜ヶ崎解体攻撃を粉砕するぞ!」「団結して闘うぞ!」とシュプレヒコールが、力強く行なわれる。次に、連帯メッセージの紹介にはいる。東京・山谷日雇労働組合、福岡・築港日雇労働組合、沖縄・首里日雇労働組合からのメッセージが紹介された。

 続いて、基調提起に入る。「安倍政府は、『失業対策事業はやらない、雇用(仕事)確保はあくまで民間(企業)がやるべき』という態度だ。『高齢者特別清掃事業』(55歳以上、5700円)は、月約5・5回だ。54歳以下の労働者の仕事は、減るばかりだ。こんなに少ない仕事量でどうやって生きていけというのか。全国の寄せ場労働者が団結して闘いを強め、何としても『公的就労事業』(失業対策事業)を政府、行政(大阪府、大阪市)にやらせていこう!」「センター周辺では、朝市つぶし、アオカンの仲間の荷物廃棄、花園公園での行政代執行などが強行されてきた」「7月26日、西成区役所で開催された第5回『あいりん地域まちづくり会議』は、当事者である俺たち日雇い・野宿労働者を入れず、『あいりん職安』と『西成労働福祉センター』を南海ガード下に仮移転することを一方的に決定した。賛成したのは行政、町内会(地域ボス)、一部の労働団体である。『あいりん総合センター』の本移転の場所・施設の機能・大きさ、シェルター利用者・数百人の居場所・休憩場所、売店、食堂、トイレ、娯楽室などといった重要問題は、いっさいほったらかしにされたままだ。大雨の日、シェルター利用者・数百人は、どこへ行けというのか! 求人車両は、どこに停まれというのか! 日雇い労働者は、どこで仕事を探せというのか!」「釜ヶ崎は、俺たちの町だ。釜ヶ崎の主人公は、俺たちだ! 俺たちは、一生この町で生きていくのだ。俺たちが生きて・生活していくうえで如何なる権利の侵害も、絶対に許してはならない! 『センター縮小・移転』=寄せ場・釜ヶ崎解体攻撃を団結して粉砕しよう!」。

  いよいよ映画上映だ。最初、「ひめゆりの塔」(1995年)が上映される。1945年3月、天皇・ヒロヒトは、「捨て石」作戦・沖縄戦を強行する。卒業を間近に控えた239人の女生徒たちに従軍命令が下される。夢と未来のある乙女たちが次々に殺されていく。戦争をしては絶対ダメだと、参加者は思った。二本目は、「男はつらいよ」だ。会場内は、大笑いとなった。参加した労働者は、冷房の効いた会場で涼みながら、冷たい麦茶やコーヒーを各自飲み「寅さん」を楽しんだ。最後は、「団結ガンバロー」で締めくくられた。「夏祭り上映集会」は、暑さに苦しめられ、すさまじいアブレ地獄に追い込まれている釜ヶ崎の日雇い・野宿労働者が、「反戦・反失業」の闘いにむけ団結を打ち固める場として成功した。