福岡日雇い越年・越冬闘争

越年・越冬闘争突入集会をかちとる(12月31日、須崎公園)
越年・越冬闘争突入集会をかちとる(12月31日、須崎公園)

12・31―1・2

餓死・病死・凍死ー野垂れ死に攻撃を許さず、越年・越冬闘争をやりぬく

 

福岡・築港日雇労働組合

 

 2019―2020年福岡日雇い越年・越冬闘争が須崎公園を拠点に闘われた。

 福岡における日雇い・野宿の労働者の仕事は、築港の寄せ場が解体してからは、これまでのような形では皆無だ。「体が動くうちは仕事がしたい」「働いて生活したい」という大多数の労働者の切実な声を無視し続けてきた福岡市をはじめとした行政の責任は重い。アルミ缶の回収を「条例」で禁止し、生活保護を受給した仲間たちへの締め付けを強めているのが福岡市だ。市長・高島は、安倍の閣僚の多くが所属する「日本会議」の集会において、「日の丸」の強制を「当然」とする発言を行なっている。外国人旅行者の落とす金を目当てにし、同時に企業を富ませるためだけの須崎公園を含めた市の「再開発」が押し進められている。ますます野宿する労働者への排撃と排除が強められるだろう。このような中、福岡・築港日雇労働組合(福日労)が先頭になって、今越年・越冬闘争は取り組まれた。

 実行委員会の会議を経て、越年・越冬闘争を初めて経験する仲間たちや生活保護をとった仲間たち、日雇い・野宿の仲間たちによる越年・越冬闘争は、かちとられたのだ。「会場内でのケンカや泥酔、宴会の禁止」という、実行委員会で取り決めたルールは浸透している。テントの設営、炊事、洗い場、警備、本部などの各班において仲間たちは、朝・昼・晩の食事作り、冷たい水での食器等の洗い物、皆が安心して眠れるための不寝番、みんなで楽しめる企画・ゲームの進行などをやりぬいた。この取り組みを成功させるために、支援物資の受け取りや整理作業、準備作業、さらには後片付けにも、たくさんの仲間たちの参加があった。

 安倍政府による「働き方改革」をはじめとした労働者殺しの攻撃が、ますます強められている。安倍政府のもとで、多くの労働者が、「非正規雇用」を強いられ、低賃金と重労働、不安定就労を余儀なくされている。日雇い労働者と同じような境遇に置かれる労働者が、大量に生み出されている。だからこそ、「一人の野垂れ死にも許すな」「生きてやりかえせ」という闘いが、ますます重要になっているのだ。政府や行政に依存せず、労働者人民自身が自らの力で生きぬくことが、決定的に問われている。そのためにこそ、力を出し合い、力を合わせ、助け合うことの重要さを肌身に感じている人々が多く存在しているのが今の時代だ。事実、この闘いに共感する多くの労働者・市民自身が、「何かをしたい」と、炊事や洗い場の仕事を担い、衣類や布団や食料品などのカンパ物資とカンパの資金を寄せてくれている。街頭におけるカンパ活動がやれなかったにもかかわらず、多くの反原発、反戦、沖縄の闘いや日韓連帯を担う人々などが、心を寄せカンパを寄せてくれた。会場まで物資や資金を直接届けてくれる人も後を絶たなかった。労働・生活・医療をめぐる相談会には、弁護士、歯科医師や歯学関係の方々が会場まで足を運び、仲間たちの相談に丁寧に向き合ってくれた。何人ものプロの方などによる様々な演芸などが、仲間たちを和ませてくれた。こうした多くの人びとに支えられて、越年・越冬闘争の成功はかちとられたのだ。

 

12月31日

 

 朝も暗いうちから、多くの日雇い・野宿の労働者が集まった。手慣れた仲間も初めての仲間も、力を合わせて作業を進めていく。炊事班が用意した温かい炊き出しの頃には、寝床やステージをはじめ、会場の形はほぼ整った。昼の炊き出しの後には、2019―2020年越年・越冬闘争の開幕が宣言され、突入集会だ。「越年・越冬闘争をやりぬくぞ」「一人の野垂れ死にも許さないぞ」というシュプレヒコールで越冬の幕が切って落とされた。誰もが気持ちよく過ごせるために、今回からの変更点などの注意事項を全員で確認し、越年・越冬闘争をやりぬく決意を固める。

 三日間にわたる衣類放出の第一弾が行なわれ、続いて、毎度おなじみ「笑福・望年演芸披露」と銘打ったお笑いの数々が披露された。「『桜を見る会』は、サクラになる人を見る会」などと安倍を皮肉りながら続けられる歌謡ショーや鼻笛の独演会、マジック・ショーや「博多にわか」、さらには即興の一人芝居などに、仲間たちはステージ前で腹を抱えて笑い通しだ。今回初登場の九歳の女の子の舞踊には皆大喜びだ。演目毎に何回も衣装を変えての熱演に、惜しみのない拍手が送られた。

 会場では、いつも大量の支援物資を届けてくれる団体による、「焼肉大会」が行われた。何回も何回もおかわりをする仲間たちも、皆大満足の顔だ。

 夕食を前に、恒例となっている、歌と三味線による女性アーティストの出番だ。着物姿に独特な歌詞、仲間が太鼓を叩く姿に、たまたまやってきたアジアからの「研修生」たちも大喜びだ。さらには、若いアーティストの共演も含め、多彩に芸が披露され、「例年になく盛り上がった」と本人が言っている場の雰囲気のまま、夕食へと続いた。

 夕食の後の集会では、全国の寄せ場の仲間から寄せられた連帯メッセージが代読される。東京・山谷日雇労働組合からは、「翼賛労働運動を許さない階級的な労働運動を作り上げるためには、最底辺に位置付けられた寄せ場・日雇い労働者の闘いと団結が何よりも重要です。越年・越冬闘争をやりぬき、2020年の階級攻防の最先頭にわれわれ寄せ場・日雇い労働者が起とうではありませんか」、「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」からは、「警察と元請けゼネコンやセメントメーカー、ヤクザが一体となってかけてきている労働組合つぶしの大弾圧と対決する『関西地区生コン支部』を支援する闘いを、公判闘争への結集―裁判所前での座り込み、大阪府警前での毎週の抗議行動に結集して闘っています」、沖縄・首里日雇労働組合からは、「『工事用ゲート』前でも、海上でも、安和でも、塩川でも、労働者人民の頑強な闘いがある限り、工事が完成することはありません。追いつめられているのは、政府―沖縄防衛局の側です。最底辺からの実力決起を実現し、新基地建設を何としても阻止していく決意です」というメッセージが寄せられた。すべてのメッセージに、会場全体の拍手が送られた。最後に、「今日から三日間、おいしいものをいっぱい食べて、たのしく年越しの取り組みをしましょう」という、実行委員長の音頭で、みなが「団結ガンバロー」を三唱し、三日間にわたる越年の取り組みをやりぬこうという意欲が打ち固められた。

 山谷でも、最近は、「こんな闘いがあったことを知らない仲間が増えた」ということで、初日の夜は、「山谷(やま)―やられたらやりかえせ」が、ひさしぶりに上映された。

 

1月1日

 

 朝食は正月らしく雑煮だ。差し入れのポンカンも並ぶ。生活保護などで家のある仲間は、無理して泊まらないようにした。豊富な布団に全員が元気に年を越した。衣類放出が行なわれ、皆が新しい服を手にした。

 昼食の後は、新年総決起集会だ。元気にがんばる各班の仲間からの発言だ。炊事班からは、「新年明けてすばらしい天気で、これから一年みなさん健康に過ごしましょう。そのためには、しっかり食事をとってください。ゆっくり体を休めてください」。洗い場班は、全員が登壇した。冷たい水で洗い物を一手に担っている仲間たちに、大きな拍手が沸き起こった。設営班の仲間は、「テント運びやテント建てなどがんばって、会場が出来上がりました。撤収やテント返しの最後までがんばります」。警備班からは、「トラブルのないよう、私たちの手をわずらわせないよう、最後まで和気あいあいといきましょう」。本部から、「皆さんのご協力のおかげで、越冬も軌道に乗っています。力を合わせて今年もがんばりましょう」。最後は、実行委員長の締めの「団結ガンバロー」で、気持ちをひとつにして、新しい年の闘いの出発を誓った。

 今越年・越冬闘争には、若い労働者が多く合流している。ここ福岡から、新しい労働運動の息吹きを生み出していくべく、今越年・越冬闘争は闘いぬかれたのだ。

 夕食の前には、東京を中心にコンサート活動を担っている、プロの女性歌手の友情出演だ。オペラで鍛えた喉はさすがで、情感たっぷりにさまざまな歌を披露してくれた。美空ひばりを彷彿とさせる歌声に、会場全体が聴き入った。

 人民パトロールが取り組まれた。地下街の開いている時間帯故か、仲間の姿は見られなかった。しかし、市内の離れた地域には、福日労の越冬を知りながら、やって来ようとはしない野宿の仲間が、寒空の下、さ迷っている。確実に体力を落としていくこうした仲間たちを、結集しえていない現実を見据え、さらなる日常的な取り組みの必要があるだろう。

 映画の上映では、アフガニスタンで現地の人民自身が用水路建設を続けられるように努力し、殺された中村医師の活動が映し出された。温かい飲み物や食べ物もふるまわれ、娯楽映画も大いに盛り上がり、仲間たちはこの日も楽しく元気に過ごした。夜の冷たい風にも、温かい寝床に守られて、皆快適に眠りについた。多くの仲間たちが不寝番の役に就いて、仲間たちが会場を守りぬき、皆が一丸となった越冬は続く。

 

1月2日

 

 この日もさまざまなゲームで、皆が楽しみ、衣類の放出もなされた。昼食の後には、労働・生活・医療の「大相談会」が開かれた。歯科検診をしてくれる歯科医師ならびに、はじめて参加してくれた歯学生も二人来てくれた。相談に乗ってくれた歯学生の一人は、「まだ学生で心配な面がありますけど、次回までにスキルアップして、また来ます」。歯科医師の一人からは、「相談だけでなく、支援物資の方にも力を入れます」。「大相談会」終了後には、相談に乗ってくれた方々に対して、惜しみのない拍手が送られた。反原発の闘いなどを担っている人も顔を出し、カンパを届けてくれる。こうして、福岡の越年・越冬は多くの人たちに支えられ、たくさんの仲間たちの結集をもって、最後まで盛大に行われた。この日の映画上映会は、沖縄の基地問題が映し出され、娯楽映画で腹を抱えて、夜も更けていった。

 

1月3日

 

 この日は朝早くから片付けだ。軍手とタオルが全員に配られ、作業の段取りが説明される。テントが一斉にたたまれ、資材の搬出や公園の掃除が行なわれていく。昼食時にはほとんどすべての作業が終了する。みんなが和気あいあいと協力し合い、力を合わせてこの一年を闘いぬく決意が共有された。新たな闘いの決意を込めて、実行委員長の音頭による「団結ガンバロー」で、2019―2020年福岡日雇い越年・越冬闘争は幕を閉じた。

 他方、ニセ「福日労」―ゴロツキ組合が出来町公園で行なった「越冬祭り」は、相変わらずのお寒い状況であった。「炊き出し」なるものも、身内だけで肩を寄せ合って食らっていたにすぎない。もういいかげんやめた方がいいのではないか。

 二月には、日出生台演習場(大分県)における在沖米海兵隊による移転演習―日米共同演習が目論まれている。これを粉砕する闘いに、福日労は決起する。越年・越冬闘争の成功を力に、「反戦・仕事よこせ」の新たな闘いに福日労は起ち上がる。共に闘おう。