5・17「関西生コン潰しの大弾圧を許さない!『週間実話』を提訴!第6回公判闘争」
5月17日、「労働組合つぶしの大弾圧を許さない実行委員会・東京」と「救援連絡センター」の呼びかけで、「関西生コン潰しの大弾圧を許さない! 『週間実話』を提訴! 第6回公判闘争」(第5回公判闘争は、1月25日)が闘われた。
「週刊実話」は、2019年2月21日号、2月28日号、3月7日号の3回にわたって、一ノ宮美成なるライターが書いた「ブラックマネー 関西生コン事件」なる記事を掲載し、「関西地区生コン支部」への大弾圧を賛美し、デマ記事をバラ撒いた。捏造記事を撒き散らす「週刊実話」という悪質ジャーナリズムへの反撃を行ない、「関西地区生コン支部」への弾圧の本質を明らかにし、広く世論に訴えるために、「関西地区生コン支部」が原告となり、「週刊実話」を発行する株式会社・日本ジャーナル出版と執筆した一ノ宮美成を被告として、損害賠償請求と謝罪文の掲載を求めて東京地裁に民事裁判が提訴された。
5月17日は、この民事裁判の第6回公判の期日となった。この日、午前10時から東京地裁前には多くの労働者が集まり、午前11時半からの第6回公判への結集を呼びかけるビラまきが行なわれた。「救援連絡センター」のメンバーや、「関西地区生コン支部」の執行委員・西山氏が、裁判所周辺を通行する人々にマイクを使って「労働組合のストライキを『威力業務妨害』とデッチ上げる弾圧が強行され、これを賛美する捏造記事を撒き散らす『週刊実話』をともに追及していきましょう」と呼びかけを行なう。マイクのアピールを聞いた労働者や弁護士などが次々とビラを受け取っていく。
午前11時半から、705号法廷で行なわれた公判は、原告と被告双方の準備書面の確認が行なわれ、次回公判を7月14日とすることが決められ、10分程度で終了した。
公判闘争を終えた労働者や弁護士は、隣接する弁護士会館のロビーで集約を行なった。弁護団からは、「ライターの一ノ宮は、大阪の大量逮捕弾圧事件をもとに『関西生コン労組は、労働組合を隠れ蓑にした反社会的集団』などと書いている。しかし、これは、一ノ宮の意図的な論評だ。『反社会的集団なのか、労働組合なのか』という問題をめぐって、さらに反論していく」「裁判長は、原告に敵対的な姿勢を取っている。これを許さず闘っていきたい」「5月3日の憲法集会に対する弾圧や、韓国サンケン労組支援の闘いへの弾圧が強行されている。労働組合運動に対する弾圧を許してはならない」と、公判闘争に向けた決意を明らかにした。大阪から駆けつけた西山氏は、「7月13日午前10時から、武委員長の判決公判があります。大津の事件も含めて懲役八年の求刑を粉砕するために、当日は、朝から集会を行ないます。有罪判決粉砕に向けて結集されることを呼びかけます」と訴えた。
「週刊実話」に記事を書いた一ノ宮美成なるライターは、1980年代には日共大阪府委員会所属であり、機関紙・「大阪民主新報」の記者をしていた。一ノ宮は、1981年から1984年にかけても、「関西地区生コン支部」に対して、「利権集団、暴力集団」というキャンペーン記事を書いていた。当時は、日経連会長・大槻文平が、「関西地区生コン支部」が進める産業別労働運動に対して、「資本主義の根幹に触れる運動だ」「箱根の山を超えさせない」と公言し、セメント業界を挙げて「関西地区生コン支部」への締め付けを強め、これと連動して、大阪や東京では警察が「関西地区生コン支部」の中心的な組合員を逮捕・勾留していた。日共は、これに恐怖し、いきなり「赤旗」紙上で一方的に「関西地区生コン支部」を非難し、「自分たちは無関係である」として、資本や国家権力に対して「身の証」を立てていた。一ノ宮のキャンペーン記事はこれと連動したものであった。2017年12月に闘われたストライキでも、日共系の「建交労」は、ストライキから逃亡し、ヤクザが牛耳る「大阪生コン広域協組」に同調するという醜悪さを見せている。 公判闘争に結集した労働者は、これらの敵対を許さず、東京での「関生支援」の闘いと陣形を大きく作り上げることを確認し、当日の行動を終えていった。
〈東京・山谷日雇労働組合〉